インタビュー

医療従事者に聞く

「病気」ではなく、「病人」を診る医療人へ

中村清吾先生 対談写真

中村清吾 氏

1956年9月10日、東京浅草生まれ。千葉大学医学部ご卒業後、聖路加国際病院、昭和大学病院ブレストセンター長を勤め、チーム医療や乳がん治療を患者目線で取り入れた第一人者。
昭和大学医学部外科学講座乳腺学部門教授、昭和大学病院ブレストセンター長、天津医科大学客員教授、日本外科学会指導医、同専門医、日本乳癌学会乳腺指導医、同専門医、がん治療認定機構暫定教育医、日本臨床腫瘍学会暫定指導医、マンモグラフィ読影認定医、日本乳癌学会監事(前理事長)、日本外科学会理事、日本外科系連合学会フェロー、American Society of Clinical Oncology(ASCO)会員、2009年/2010年ASCO Breast Cancer Symposiumプログラム委員、NPO法人日本乳腺甲状腺超音波診断医学会(JABTS)顧問、日本乳房オンコプラスティックサージャリー学会監事(前理事長)。

実家の鍼灸院に通う患者さんは、なぜ治ったのか?
この事実を科学的に解明・証明したかった

〈ら・し・く〉
ご家族が三代続く鍼灸院を営まれていたと聞きました。東洋医学には親しまれた環境だったと思いますが、医学部へと具体的に目標をもたれた時期はいつころなのでしょうか? 乳腺外科を希望された理由と併せてお聞かせください。
中村
実家の鍼灸院に西洋医学から見放された患者さんが通っていて、小さいころから医療に携わりたいと思っていました。千葉大学医学部では、東洋医学研究会に入りました。実家の患者さんが治ったことを科学的に解明したい、証明したいと思ったのがきっかけです。そして大学在学中、当時は電気街といわれていた秋葉原が実家から近いこともあって、コンピューターに興味をもつようになります。臨床試験を行うためにはコンピューターでランダム化(※)したり、データベース化の必要性を感じたからです。外科医に進むことは決めていたのですが、将来、自分のやりたい人工臓器や移植医療を学べるところで研修しようと、大学の医局でなく初期研修が充実していた聖路加国際病院を選びました。その後、がん治療のメッカ、アメリカのM・Dアンダーソンがんセンターでチーム医療を目の当たりにしたわけです。ちょうど乳がん治療を集学的に行うブレストセンターの準備をしているところで、「乳がんを専門にしていこう」と思ったきっかけとなりました。

※ランダム化(比較試験)
研究の対象者をランダムに2つのグループに分け(ランダム化)、一方には評価しようとしている治療や予防のための介入を行い(介入群)、もう片方には介入群と異なる治療(従来から行われている治療など)を行います(対照群)。無作為化比較試験ともいいます。(国立がん研究センター『がん情報サービス』より)

「医者が頂点」というピラミッド構図をフラットな関係へ

〈ら・し・く〉
先生はアメリカでのご経験からチーム医療を始められたと伺っております。しかし、まだまだ日本の医療現場では治療ありきで、副作用への対応や術前術後の運動による予後の改善など、患者のQOL維持は後回しになっていると感じます。日本におけるチーム医療の現状や展望についてお考えをお聞かせください。
中村
日本でもチームカンファレンスを始めていますが、医療現場ではまだまだ「医者が頂点のピラミッド」というイメージが強いのではないでしょうか。医者が考えを変えないといけないと感じています。「働き方改革」といわれていますが、日本は10年以上遅れています。専門ナースや薬剤師なども出てきましたが、医者とフラットな関係を築くためには、こうした資格はいいと思います。MDアンダーソンでの経験をもとに、聖路加国際病院に戻ってから乳腺外科を一般外科から独立させ、チーム医療が必要であると説得し、ブレストセンターを発足しました。聖路加は日野原先生の考えが徹底していたので、看護師が臨床でかなり関与していましたが、それでもまだ当時は十分ではありませんでした。

医者の考えを患者志向の考えに変えるためには、早めの教育が重要と考えています。白衣を着るようになって研修医となってしまってからでは遅いので、大学で学んでいるときからこうした研修を行うべきです。1年次に学部(医・歯・薬・看)を超えた寮生活を送りフラットな関係が築ける昭和大学では、やりやすい環境にあると思います。

〈ら・し・く〉
医師と対等なコミュニケーションをとるどころか、患者の多くは先生に質問することでさえ、ためらう方が多いと感じます。情報を探すにしても、探し方にコツもあってハードルが高いとは思うのですが、まずは患者力を向上するためには情報リテラシーをあげる努力が必要かと思います。それ以外に、何か先生から、賢い患者になるためのアドバイスがありましたら、お願いします。
中村
情報をまずは吟味することでしょうか。患者向けのEBM(※)情報も出ているので、情報を見極める力を身につけたいですね。※EBM
Evidence-Based Medicineの略。科学的根拠にもとづく医療のこと。

「病気」ではなく「病人」を診ることで、
患者さんが満足感を得られる治療をめざす

〈ら・し・く〉
がん治療の発達と同時に高齢化社会も進み、多重がんやがん以外の病気の併発が今後ますます増えていくと思われます。そういった場合の医療の目的やあり方(がんとの共生なども含め)について、どのようにお考えでしょうか。
中村
聖路加国際病院で日野原先生がおっしゃっていたのは、「病気」でなく「病人」を診るということです。まさに全人的(※)医療で患者さんや家族に接することが大事と考えます。治りにくいがんもありますが、私は患者さんが満足感を得られる治療をめざしています。先日、『最高の人生の見つけ方』という映画を見ました。病院で偶然に出会った2人が余命宣告を受け、「死ぬまでにやりたいことリストを作成し、このリストに書かれたすべてを実行していく」というストーリーです。「覚悟」という言葉は「悟りを覚える」と書きますが、これからの人生の過ごし方を家族と話し合ったりすることも大切だと思います。

※全人的
全人格を総合的にとらえるさま。人間を、身体・心理・社会的立場などあらゆる角度から判断するさま。

使命は、「良医」を育てること

〈ら・し・く〉
高齢者以外の世代でも、AYA世代や、子育て世代、働き盛り世代など、世代ごとに配慮すべきポイントや治療戦略なども異なると思います。先生のお考えをお聞かせいただけますでしょうか。
中村
そうですね、AYA世代は引きこもりや妊孕性(※)の問題も深刻ですし、終末期の高齢者は誰が看取りをするかなど、話し合っておくべきこともあります。家で死ぬことは理想的だと思いますが、「社会」の受け入れ態勢が整っているかどうか、医療だけでは解決できないので、社会全体で考えなくてはいけない問題になっていると感じます。※妊孕性(にんようせい)
妊娠する力のこと。

〈ら・し・く〉
最後に、先生のこれからの目標というか、今後の生き方(公私共に)はどのようなものか、お聞かせいただけますか? また、皆さんへのメッセージもいただけますか。
中村
「良医」を育てることが、自分の使命だと思っています。自分の経験を生かして後進の教育をしていきたいですね。プライベートではスポーツ全般も好きですが、中断していた油絵を再開したいと思っています。

インタビュー掲載日:2020年3月24日


本日は、お忙しいなか貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。