インタビュー

医療従事者に聞く

『サバイバーシップ』は、
人生を左右する大きな出来事を抱えて生きていくプロセス

高橋都氏 対談写真

高橋 都 氏

NPO法人 日本がんサバイバーシップネットワーク代表。
1959年、岩手県宮古市生まれ。リアス式海岸のそばで、のびのび育つ。
岩手医科大学卒業後、都内の病院で一般内科医として勤務。その後、30代半ばで医療を社会や文化の視点から考えるために東京大学大学院の国際保健学専攻に進学、博士(保健学)取得。同大公共医学専攻講師、獨協医大公衆衛生学准教授を経て、国立がん研究センターがんサバイバーシップ支援部長。2020年3月に定年退職。
その後、NPO法人日本がんサバイバーシップネットワークをたちあげ、「学ぶ」「楽しむ」「発信する」をキーワードにした活動を展開。趣味は、水あそび(シーカヤック)とベランダ園芸。
                              
一般社団法人社会医学系専門医協会 社会医学系指導医・専門医
日本医師会認定産業医
日本内科学会認定内科医
岩手医科大学医学部客員教授
東京慈恵医科大学医学部客員教授
(港区立がん在宅緩和ケア支援センター「ういケアみなと」アドバイザー)
国立がん研究センター客員研究員

コロンビア大学の聴講で「医療人類学」を知ったことが
『サバイバーシップ』の研究に取り組んだきっかけ

〈ら・し・く〉
職業として医師を選択されたのは、いつごろでしょうか? その理由もお聞かせください。
高橋
地元岩手で、父は耳鼻科、母は内科・小児科として開業医を営んでいました。その医院には入院患者さんはもちろん私たち家族も一緒に住んでいて、プライバシーがないような環境でした(笑)。田舎だったので他に選択肢もなく、「将来は医師になって、あとを継ぐんだろうな」という刷り込みはあったと思います。

「アワビやウニで支払い」なんていう港町ならではのこともありましたね。そんな地域の皆さんのお役に立っている両親を見て育ち、自然と「私もそうでありたい」と思っていました。地元の大学を卒業してから慈恵医大にご縁があり、そこから東京での生活が始まりました。

〈ら・し・く〉
最初に内科医として勤務されていますが、その後、研究の方にシフトされています。そのきっかけや背景などを教えていただけますか? また、『サバイバーシップ』というテーマに遭遇したきっかけもお聞かせください。
高橋
岩手医科大に入学してから「臓器を見ていたいのか?」という自問自答を繰り返しましたが、徐々に「臓器より人や社会とつながりたい」という気持ちが強くなってきました。臓器別に縦割りになっているのも、しっくりこなかったのです。臓器以外となると「精神科」か「公衆衛生」の選択となりますが、幅広く見ておくという意味で「内科」を選びました。

慈恵医大病院で数年働いたあと、結婚して地域密着型の病院に勤務しました。卒後5年目の年、大学教員だった夫がアメリカのニューヨーク、コロンビア大学で研究することになり、サバティカル(※)でついていくことにしました。そんななかコロンビア大学の聴講生になったとき「医療人類学」と出会い、医療と文化を結びつけている領域があることを初めて知りました。社会や人それぞれの文化が、医療行動にどう影響するかという学問です。そして帰国後、東大大学院で「医療人類学」の講義を見つけました。国際保健学専攻の修士2年のコースでしたが、人生で一番楽しい学びの時間となりました。『サバイバーシップ』という言葉に出会ったのは、さらに研究を進めて博士課程に進んだときです。

※サバティカル
長期間勤続者に対して付与され、1か月以上、長い場合は数年間となることもある長期休暇。伝統的には大学教員に多く採られている制度で、研究休暇、在外研究などと呼ばれることもある(編集部注)。

『サバイバー』は「勝者・敗者」ではなく、
サバイブできなかったからといって、loser(敗者)になるわけではない

〈ら・し・く〉
がんになって、初めて『サバイバーシップ』という言葉を知る方も多いと思います。ただ、『サバイバー』という言葉自体が曖昧で、患者が『サバイバー』なのか家族も含めるのか、治療終了したらどうなるのかなど、明確な決まりもないようですね。そのへん先生がお考えになる『サバイバー』『サバイバーシップ』についてお教えいただけますか。
高橋
『サバイバーシップ』とは、人生を左右する大きな出来事があったときに、それを抱えて生きていく「プロセス全般」のことだと捉えています。病気を治すとか改善していくことがテーマになりますが、なかには治せない場合もあります。しかし、それでもけっこう幸せに生きていけることも少なくないと思います。

加えて、心身の不調だけでなく、人間関係や仕事といった社会活動や個人を取り巻く社会そのもの、格差社会なども含める社会の研究、社会で生きていく個人の研究…これらも『サバイバーシップ』研究に含まれるのではないでしょうか。また、合併症が長期にわたって続いたり、5年、10年経って出てくる晩期合併症もありますよね。そうした長く続く合併症の研究や長い間フォローしていく医療システムの研究も『サバイバーシップ』研究に含まれるでしょう。

医学研究の多くは「治療中の今」のことをとりあげます。長期にわたる合併症や晩期合併症は5年先、10年先の話。でも、治療が一段落した患者さんも〈がん〉を体験した事実は消せなくて、それを抱えて生きていくことになります。さまざまな問題があるはずなのに、治療が終わったら医療機関とは離れてしまうのが現状です。

〈ら・し・く〉
国際的には、どんな捉え方になっているのでしょうか?
高橋
『サバイバーシップ』といった場合、国際的には治療中の方は含めず治療が一段落した方についての研究を指すのが主流です。『ポストトリートメント(治療後)』に注目するのですね。一方で『治療後』といっても、乳腺など10年続く治療もある。治療を受けながら、社会復帰してお元気に暮らしている方も大勢いらっしゃいます。ですから、最近は「治療が終わりました」と宣言するのも難しくなってきていますね。

『治療後』に着目するとはいえ、治療後のことは治療中とつながっていますから、結局、治療中のことも無視できないと思っています。テーマも時期も広くて説明が難しいのですが、「本来着目するのは、治療後である」というのが『サバイバーシップ』の研究ではないでしょうか。

いずれにしても、サバイバーは「勝者・敗者」ではありません。サバイブできなかったからといって、loser(敗者)ではないわけです。集団やグループのことというより、一日一日を自分なりに積み重ねていく実感をもった自分一人のことであるなら、「サバイバー」という言葉はありだと思います。夫をステージ4の〈がん〉で亡くした4年前の私の日々がまさにそうでした。

『がんサバネット』は、〈がん〉の影響を受ける人が
自分の得意技を箱のなかに入れていってつながるところ

〈ら・し・く〉
高橋先生は、最近、新たな活動をされていると伺っています。『日本がんサバイバーシップネットワーク』、通称『がんサバネット』というユニークな名前ですが、「学ぶ」「楽しむ」「発信する」の3つがテーマのようですね。こちらの団体を通じて先生が目指されているもの、目標などを教えていただけますか?
高橋
定年退職後の人生設計で、大きな組織は卒業しようと考えていました。みんなで『サバイバーシップ』を考えられる箱がほしかったんです。がんセンターでの7年間を通じて全国で思いを同じくする方々につながり、NPOを立ち上げました。

大事にしたのは、箱のなかでみんなが自らの力を蓄えること。〈がん〉体験をもつ方はもちろん、家族、医療者、行政、一般市民も〈がん〉と縁のない人はいないと思います。こうした〈がん〉の影響を受けるすべての人が、自分の立場から〈がん〉をもって生きていくということを考え、「学ぶ」「楽しむ」「発信する」という3本柱はありますが、自分の得意技を箱のなかに入れていってつながったら面白いものができると考えました。

具体的にはすでに本好きの仲間から「サバイぶらりー」という仮想図書館の活動が始まっています。また、旅好きの人からは「マイ フェイバリット プレイス」という、お気に入りの場所を紹介する企画の提案があります。小さなイベントも予定していて、直近では6月10日に「がんと仕事」をテーマにした勉強会を計画しています。

▼日本がんサバイバーシップネットワーク 
https://jcsurvivorship.net/

〈ら・し・く〉
最後に、先生のこれからの目標というか、今後の生き方(公私共に)はどのようなものか、お聞かせいただけますか? また、皆さんへのメッセージもお願いします。
高橋
人生を楽しみたくて、人生でやりたい100のコトを書き出すというのを最近始めました。87くらい書き出して、すでにタケノコ堀り、新玉ねぎ堀りなどやりましたが、ものすごく楽しかった。やり終わったら消していって、常に100ためておくんです。人とつながっていたいし、開かれた自分でいたいと思っています。

インタビュー掲載日:2021年6月1日


本日は、『サバイバーシップ』について高橋都先生にいろいろ伺うことができました。『サバイバー』や『サバイバーシップ』の定義が流動的であること、ますます高齢化社会になって長期のフォローアップが必要となってくることがよくわかりました。そして何より、定年退職後の楽しそうな活動をお聞かせいただき、こちらまでウキウキしたくなるような時間でした。お忙しいなか貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。