乳がん生活:患者力:患者力アップのヒント

ジェットコースターのような日々(1)

はじめまして。ふとしたキッカケから、こちらのコラムを執筆することとなりました。プロフィールにも記載していますが、2019年1月 36 歳のときに〈子宮頸がん〉ステージIbを発症し、現在は経過観察中、3年目が経過しました。ちょっとずつ思い出しながら私が〈子宮頸がん〉と知ったきっかけと、ジェットコースターのような日々を書きたいと思います。

2018年6月~8月 不正出血でも「ストレス」だと過信

あれ、体調がおかしい、と思い始めたのはそのときでした。当時は営業の仕事を行っていましたので、売上によるストレスか何かかと思っていました。不正出血が出ており、生理も不順。「今まで入院もしたことがなくストレスである」と”過信”していたのだと思います。今、考えたら「ストレス」とはすごくビッグワードであり曖昧な言葉ですね(笑)。

2018年9月 健康診断の結果が分かりながらも検診は先延ばし

やはり体調が悪く、「そういえば、年始に受けた健康診断の結果をきちんとよく見ていなかった」と急に思い出し見直したところ、〈子宮頸がん〉の検診が必要だという状態でした。そのときは会社のみんなに迷惑をかけるくらい動揺したのを覚えています。慌てて健診センターに病院を紹介いただきましたが、「予約の電話いつしようかな」と”すぐ”の行動には至らなかったのです。

2018年10月 健診センターからの1本の電話で状況が急転

そんな状況と同時に異動の辞令が出て、仙台から東京へ転勤になりました。「病院に行かなければならない」と思っていても、「どうやって違う土地で探そうか」「病院検査はこわい」などと勝手なイメージも湧き上がり、そのまま放置していました。

37歳を迎えたある日、仙台の健診センターの方からお電話をいただきました。紹介した病院に検査を行っていない状況を知り、わざわざ連絡をいただいたのです。このお電話を通じて東京勤務地の近くの産婦人科で受診し、ジェットコースターに乗ったような日々が始まりました。お名前も憶えていないのが残念ですが、「健診センターの方の1本の電話」が私を助けてくれたのです。お電話をくださった方、本当にありがとうございました。

ジェットコースターのような日々は、次回に続きます。

サポーター

亀谷温子
亀谷温子
一般社団法人イシノマキ・ファーム職員。大学卒業後、宝飾店勤務を経て民間教育系企業にて教室運営に携わり、本社勤務時の2019年1月 36 歳のときに〈子宮頸がん〉ステージIbを発症。広汎子宮摘出手術により子宮全摘出。排尿障害を経験後、リスク回避として〈抗がん剤〉治療を3回実施。脱毛を経て仕事復帰後の 2019 年 9月に石巻に3度目の訪問をし、石巻の空の青さに惹かれて移住を決意。2021 年 10 月に結婚と同時に移住し、現在に至る。〈がん〉と就労、復帰後のケアについて、また「農業」のリカバリーの可能性を感じ、日々学び中。

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