インタビュー

患者さんに聞く

目の前のことに向き合う毎日を過ごすことで、徐々に平穏さと自信を取り戻す

水田悠子

水田悠子さん

株式会社encyclo 代表取締役
1983年東京都生まれ。
2012年、株式会社ポーラ在籍中の29歳のときに子宮頸がんが発覚。その後、手術の後遺症として「下肢リンパ浮腫」を発症し、医療用弾性ストッキングを毎日着用する生活に。
2020年、ポーラ・オルビスグループより株式会社encycloを社内起業。自身の経験と、化粧品会社での10年以上にわたる企画開発のスキルを活かし、リンパ浮腫の方に向けた商品・サービスを提供するブランド『MAEÉ』(マエエ)を立ち上げ。「ケアと美しさを両立した」医療用弾性ストッキングなどの開発・販売を行う。一般社団法人CancerXなどで、がんの啓発活動にも携わる。

▼encyclo
https://www.encyclo.co.jp/

▼MAEÉ
https://maee.jp/

罹患5年後、〈がん〉経験者として生きていく心境にたどり着く

〈ら・し・く〉
〈がん発症〉はいつころでしょうか? どのような治療をされましたか?
水田
2012年、29歳のゴールデンウィーク中に〈がん〉であることが分かりました。それまで定期的に婦人科検診を受けたときには異常は発見されず、不正出血という自覚症状が出たことをきっかけに近所のクリニックを受診した際にも「びらん」だと診断されました。

これで、〈がん〉の発見が大きく遅れてしまったんです。大学病院での詳しい検査で発覚した〈がん〉は、5.5㎝まで大きくなっていました。そのため、すぐに子宮・卵巣・リンパ節を摘出する手術を受けることに。悪性度が高いタイプで、再発を予防するために追加で抗がん剤治療も受けました。

〈ら・し・く〉
振り返ると、そのときどのような気持ちだったでしょうか?
その後、「気持ちが徐々に整理できたなあ」と感じたのはいつころでしたか?
水田
自覚症状があって受診したので、多少の覚悟は持っていました。しかし、予想していたよりもはるかに悪いことを告知されて、頭も心もついていけなかったですね。命が助かるのか、治療はどんなふうに進むのか、子どもがもてなくなってしまうのか…受け止めなくてはいけないことがたくさんあって、悲しみに浸る暇もありませんでした。

治療中は先のことは考えず、目の前のひとつひとつに向き合って何とか乗り切りました。不安定な気持ちが続いたのは、むしろ治療が終わった後です。再発の恐怖や、まるっきり変わってしまった人生をどう生きていくのかなど、考え込んでしまうことが数年間続きました。しかし、毎回の定期検診を無事にクリアしたり、一日一日を積み重ねていくことで少しずつ自信を取り戻し、罹患後5年を迎えるころにようやく、〈がん〉を経験した自分として生きていく心境にたどりつきました。

慢性疾患には、生活を優先しながら無理なく付き合っていく

〈ら・し・く〉
治療中、仕事はどうされましたか?
水田
とても理解のある職場で、告知直後から約1年強、休職させてもらいました。その後、通院のスケジュールや体力の回復などに配慮してもらって、同じ部署で時間管理がしやすい仕事に復帰することができました。上司を含めて女性が多い職場で病気の話をしやすかったこと、〈がん〉の治療後に復帰して仕事を続けていた先輩がいたことなど、理解してもらいやすい環境が整っていました。

〈ら・し・く〉
副作用や後遺症が仕事や生活に影響を与えることはありましたか?
水田
抗がん剤治療の副作用は、副作用対策のお薬などの効用で想像よりも軽く済みました。脱毛もしましたが、気に入ったウィッグを事前に用意できたので、ストレスを最小限にできたと思います。

実は副作用以上に苦労したのが、後遺症でした。手術で骨盤のなかのリンパ節を切除した影響で、下半身のリンパ液が戻りにくくなって脚が慢性的にむくんでしまうというものです。つまり、リンパ浮腫ですね。全員が発症するわけではありませんが、いつ発症するか分からず、発症したら完治は見込めないので、「生涯ケアを続けなくてはいけない」と術前にレクチャーを受けました。

術後、数か月が経過したころ脚の付け根にはれぼったいような違和感を感じ始め、「このままどんどん悪化してしまうのではないか」と不安に駆られました。そこで「悪化を防ぐために、やれることは何でもしなければ」と思い、常に脚を圧迫する医療用のストッキングを履いたり、朝晩マッサージをしたり、脚に食い込みにくいような洋服や靴を選んだり、かなり気をつかっていました。また、仕事に復帰した後も、毎日、身体のことでたくさんのケアを行っていけるか不安を感じていましたね。

〈ら・し・く〉
そうした後遺症とどのように付き合っていかれたのでしょうか?
水田
〈がん〉を早期発見できなかったという後悔があったので、後遺症は絶対に悪化させたくなくて、リンパ浮腫との適切な向き合い方を身に着けるのに何年もかかりました。過剰に恐れすぎて「旅行やファッションなど、すべてあきらめなくてはいけない」と思ってしまったり、ケアができなかったら自分を責めてしまったりする時期もありました。逆に、毎日続くケアが嫌になって、すべて投げ出して悪化させてしまったこともあります。

ただ、幸い早くからリンパ浮腫を診てもらえる医療機関に通院することができましたので、「治らない慢性疾患ではあるものの、無理なく生活を優先しながら付き合っていけば良い」と徐々に学べるようになり、今は過不足なく向き合うことができていると思います。

〈ら・し・く〉
自分の病気のことをどこまで伝えるかは、難しいところがりますよね。水田さんの場合、職場や取引先のどなたに、またどんなタイミングでお伝えになりましたか?
水田
告知後、最初に伝えたのが職場の上司でした。課長、部長、役員と当時の上司はすべて女性で、話しやすい環境だったことから、告知後すぐに課長に電話で伝え、翌日部長に面談の機会をもらって、病状を説明するとともに休職について相談しました。その結果、すぐに休職に入ってしまったため、部員や取引先には上司から伝えてもらいました。

復職するときは、〈がん〉のことだけでなくリンパ浮腫の本を使って、後遺症の不安がこの先も続くことを伝えました。おかげで、時短勤務から徐々に慣らしていったり、立ち仕事や重いものを持つなどリンパ浮腫に負担になりそうな仕事は代わってもらうといった配慮をしてもらえ、とても助かりました。

〈がん〉を経験した自分だからできること…それがencyclo

〈ら・し・く〉
後遺症に悩まれたことから、会社内起業ということでencyclo(エンサイクロ)のプロジェクトを立ち上げられました。
encycloについて、どんなプロジェクトなのか教えてください。立ち上げの経緯や、お気持ちなど含めてお願いします。
水田
治療後、幸い再発もなく、日常生活に戻ることができました。でも、身体は元気でも、気持ちは病気の前のようにもとどおりではなく、命に関わるような大きな出来事を経験した後に、もとの人生にどう戻っていけばいいのか悩んでいました。再発の不安、一生続く後遺症、子どもがもてなくなったことなど、その後の人生にも影響が及ぶことがある状況で、すべて忘れてしまうこともできず、自分のなかで病気の経験をどう位置付けていいのか分からなくなっていたんです。

罹患から4年ほど経って、〈がんサバイバー〉の友人が立ち上げに奔走していた『マギーズ東京』にオリジナルグッズの商品開発チームとして関わる機会をもらい、〈がん経験〉と自分のもつ仕事のスキルを融合できるという気づきがありました。それをきっかけに、〈がん〉の経験を忘れずに自分だからこそできることをしてみたいと徐々に思うようになったのです。

そんななか、新卒入社時に採用・研修でお世話になった齋藤さんがPOLAで〈がん治療〉と就労の両立支援制度を立ち上げていて、再会する機会がありました。そこで意気投合して〈がん〉をテーマにしたプランを社内ベンチャー制度に応募した結果、紆余曲折ありながらも親会社から事業化の承認をもらうことができたんです。

事業内容は応募時からいろいろと変化しましたが、変わらないことは「〈がん〉後の人生も豊かに過ごせるようにしたい」「ビューティーを大切にする」という点。2020年5月7日、〈がん〉を告知されてからちょうど8年後の日に会社を設立することができました。まずは、自分自身が悩みながら長年向き合っている課題「リンパ浮腫」をテーマに、ケアとビューティーを両立する商品・サービスを開発しようと事業を始めています。

〈ら・し・く〉
「美しくあることを愉しめる世界を創る」というビジョンに共感する女性たちは多いと思います。
「治療を受けながらでも、後遺症に悩みながらも、美に対するあきらめたくないという気持ちに寄り添う」といったメッセージは、水田さん自身のご経験からの言葉でしょうか?
水田
長く化粧品会社で働いてきて、常に「美しくありたい気持ちは、自分〈ら・し・く〉生きることそのもの」と思ってきました。それでも、自分が病気や後遺症に向き合ったときに、無意識に「あきらめなくてはいけない」と思ってしまったこと、それによって自分らしさが失われたようで気持ちが落ち込むことを経験しました。

「ビューティーに関わる仕事をしていてもそう思ったのだから、無意識にあきらめている人はたくさんいるはず」と思い、命には関わらなくとも、生きることには大きく関わる「美しくありたいという気持ち」を大切に、ということを発信したいと思いました。

〈ら・し・く〉
encycloとしてのこれまでの活動や、今後の予定をお聞かせください。
水田
リンパ浮腫の方が、毎日ケアを続けながらも気持ちや行動が前へ進むきっかけになればという想いを込めて、『MAEÉ』(マエエ)というブランドを立ち上げました。「当事者の視点を活かした、ケアとビューティーを両立した商品」を目指し、自然な見た目の医療用弾性ストッキング、毎日楽しく使えるボディ用保湿アイテムの2シリーズを開発。オンラインストアとリンパ浮腫治療に携わる医療機関・施設で販売しています。

発売以来、「まさにこんな商品を待っていた!」「あきらめていたおしゃれ、お出かけがまたできそう」といううれしい声もいただいています。これからは、リンパ浮腫との生活をさらに楽しく心地よくする独自性のある商品を追加していく予定です。さらに、当事者やリンパ浮腫治療に携わる医療者との交流などで、私たちが大切にしている「ケアとビューティーの両立」という新しい価値観をもっと広げていきたいと思っています。

encycloの事業を通して、心地よく過ごせる時間を届けたい

〈ら・し・く〉
家族や友人、周囲の方、専門家などとの関わり合いについて教えてください。
また、同じ患者の仲間と気持ちを共有されたり、サポートをお受けになったこともあったら、お話しください。
水田
〈がん〉の発覚直後から、家族、職場、友人など周囲の人たちにたくさんサポートをしてもらいました。特に、罹患後にできた患者仲間の存在はとても大きかったです。治療中は、病院で知り合った同世代の友人と体調やリンパ浮腫のことなど、ちょっとした疑問や不安を相談し合うことができて、心の励みになっていました。

その後も、AYA世代(Adolescent and Young Adultの頭文字をとったもので、主に思春期から30歳代までの世代)の患者会や、病院主催の患者の集まりなどで、同じ体験をした方とたくさん知り合うことができました。少し先をいく先輩の話を聞くことで元気をもらえたり、会の集まり以外でも会う仲の良い友人がたくさんできたり…。「仲間がたくさんいるんだ」と思うことで、気持ちがとても明るくなりました。

〈ら・し・く〉
最後に、現在、治療中の方や後遺症に悩む人たちにメッセージをお願いします。
水田
病気や後遺症は一人ひとり違って、異なる悩みや苦しさがあると思います。軽々しく共感したり、励ましの言葉をかけることはできないけれど、一歩一歩、目の前のことに向き合うなかで、少しでも心が軽くなる瞬間や楽しく過ごせる時間があるといいなと願っています。私も、encycloの事業を通して、そんな時間や気持ちを届けられるようにこれからも頑張っていきます。

インタビュー掲載日:2022年3月15日


水田さん、本日はありがとうございました。encycloの事業が、みなさんが心地よく暮らせるように役立つことを祈っております。