乳がん生活:患者力:患者力アップのヒント

苦難に臨んで(2)

備えておくこと

前回のコラムで予告しました「最強の力を借りるには」をお話しする前に、ひとつ備えておきたい心構えについてご紹介したい言葉があります。

それは「恰好」です。禅の大家といわれる趙州和尚が弟子から「老師は大困難に遭った時どうされますか?」と問われ、一言「恰好」と答えたと伝わっています。「恰好」を辞書でひくと「丁度いい」「適切」などと出ていますが、文字を分けると「恰」は「あたかも」、「好」は「このむ」となります。そのときの状況を鑑みるに「これはいよいよだな」的に解釈できます。現代の名僧の解説では「よしきた」と訳されているそうです。

私が思うに、趙州和尚が何故そう言えたのかは簡単です。それは、普段から諸行無常を心に刻み込んでいたからに他なりません。いつ何が起きても不思議ではないこの世の理を常に覚悟としてもっていたからだと思います。さすが禅の大家といわれるだけの度量です。生きながらにして悟るということは凡人には出来ないものですが、せめて諸行無常という仏教の尊い教えは頭の片隅に常備したいものです。

和顔愛語

いよいよ最強の力を借りましょう。そのためには、思い遣りの心を忘れないことです。「そう言われても、辛いときにそんな余裕なんかあるわけないよ!」が普通ですよね。しかし、どんなときでも利他の心を忘れないよう戒めているのが仏の教えです。人は自分ひとりで生きているのではなく、さまざまな力によって生かされている。これが土台にあるからです。動植物の命をいただき、さまざまな人に支えられ生きています。辛いと感じるのは生きている証拠。死んでしまったら苦も楽も感じません。「ああ、まだ生きてる」「生きるってこんなことか」に辿り着けば充分です。

であれば、そこで自分ができる利他行をしましょう。和やかな表情で接する、優しい言葉づかいをする。この二つです。笑顔は周囲に希望の明かりを灯し、思い遣りある言葉は相手の心に響きます。また、大災害、社会不安などで世の中がギスギスしているとき、皆がトゲトゲしていたら争いだけが増し復興どころではありません。最強の力を借りるには「自分さえよければ」を捨て、他を思い遣るところから踏み出すことです。「千里の道も一歩から」といいますが、一つ一つの小さな愛が周囲を動かし大きな協力の輪となることは間違いありません。自らが生かされていると気づいたら、ぜひとも「和顔愛語」を実践してください。

                                合掌