自分らしく

母とのラブストーリー〜ガンの母を見送って〜

セカンドオピニオンの大切さ

2018年9月、「母が、がん」との連絡を受けました。遡ること5年前、実家の近くのクリニックで胃がんの疑いの診断を受けて総合病院を紹介され検査しましたが、その結果はがんではありませんでした。

それを機に、母は一切の薬や通院をやめました。しかし、2018年の夏ころから食欲がなくなって大好きなビールも飲めなくなり、耐え難い倦怠感を感じ始めたのです。再度、総合病院で検査をしたところ、血液の数値から相当なレベルのがんとの診断を受けました。

それまで「セカンドオピニオン」という言葉をよく聞いていましたが、当事者の私たちはその判断をせずに過ごしてしまい、5年間でしっかりとがんは育ってしまっていたのです。簡単なことですが、重要な局面ではセカンドオピニオンを聞くことが重要だと痛感しました。

抗がん治療をしないという決断〜介護生活

余命1年弱、「抗がん治療はしない」という判断をし、母とどのように死を迎えるかに向き合うこととなりました。

大腸には大きな腫瘍があって摘出が必要でした。手術は成功し、術後の経過もよく1か月半で家に戻ってくることができました。当初は「緩和ケアのある病院に入院して最後を迎える」と母とも話していましたが、時間が経つにつれて母は「家で最後を迎えたい」との意思をもち始め、在宅医療を受けることに。自分は家族の同意を得て同居はせず、実家の近くに引っ越しました。朝昼晩と母と向き合う日々、夜中の呼び出しも多々ありましたが、これも「人生の良い経験」と自然と思え、介護生活が始まりました。

人に必要なもの

そんな状況下で「自分の時間を何に使うか」「本当に自分に必要なものは何か」と、改めて認識するようになりました。それが、「家族との時間」と「サーフィン」。6歳の息子は、私がどんなに疲れていようがその疲れをすべて吸収し、デトックスしてくれました。おかげさまで、毎日午後9時か10時には息子と就寝し、30年来の夜更かし生活の真逆を送ることになりました。

サーフィンをしている間は頭のなかすべてがサーフィンになり、肉体的にも健康になり、かなりリフレッシュ。週末はどんなに時間がなくとも、朝1ラウンドだけでも波に乗るようにしました。それがなければ、母の介護もかなり息が詰まる状態となっていたと思います。

子どものころの息子に戻って

母は幸いにもほぼ痛みがなく意識もしっかりしていましたが、病は日々進んでいき、寝たきりになっていきました。ここ20年、母と私は決して仲の良い状態ではありませんでした。しかし、母の病状が進むにつれて、お互いの年が遡っていくようで、私が小さな子どものときのような愛情をもった母子の関係に変化していったのです。

母の「手をつないで寝たい」という願いを叶えるため私も傍で眠りましたが、夜中に「イビキがうるさい」と言われ、母の願いは幕切れになってしまいました。これは、申し訳なく思っています。

GWが始まると、まず朝に母の様子を確認した後にサーフィンを楽しみ、お昼過ぎに帰宅してからは母との時間を過ごすという、ルーティン生活をしていました。5月5日、サーフィンをして戻ると母はうつ伏せになっていました、呼んでも反応がなく、仰向けにして顔を撫でると笑ったような顔になりました。おそらく既に息を引き取っていたのだと思いますが、最後の最後まで親不孝な息子を母はずっと待っていたのだと思います。

令和元年5月5日の子どもの日に亡くなり、5月12日の母の日に葬儀…忘れっぽい息子が「命日を忘れるな」と言われたようなスケジュールでした。数か月の間でしたが、母のことが大好きだった子どもに戻り、母とのラブストーリーを終えることができました。

Author profile

ニシムダ ミノル
ニシムダ ミノル
フリーサーファー/ブランドプロデューサー/事業開発コンサルタント。
大手広告代理店を経て、1990年代にイタリアラグジュアリーブランドでブランドビジネスの基礎を学び、ブランドイメージコントロールマネージャーとしてVMDと店舗開発を手がける。その後、輸入商社でファッション/レザーグッズ・ウォッチ・フラグランス・シガー・カトラリーなど幅の広い商材を経験。
2006年、株式会社グランドスウェルを設立。物販のみならず飲食ビジネスにも携わり、現在はOFFICE NISHIMUDAの代表として活動。
2018年10月からがんの母の介護を行い、2019年5月に見送る。

プロフィール