思い出がエネルギーになるとき

毎年冬になると、私はよく父のことを思い出します。それは父の誕生日が12月だからかもしれません。父は長い闘病の末30余年前に亡くなったのですが、最近、改めてじっくりと父のことを思い出す機会と出会うことができました。

父の仕事

日本人の海外渡航自由化は、1964年4月から。父はその前から海外に出張することが多い仕事でした。幼い私は母に連れられてよく羽田空港に見送りにいきました。今でも空港のデッキで撮った写真が残っていますが(もちろん白黒!)、父が遠くに行ってしまう寂しさが漂う表情をしている私。それを察してか、父は海外に滞在中、エアメールをたくさん送ってくれました。いろいろな国の見たこともない風景の絵葉書は、私の海外に対する好奇心を高めてくれたようです。幼い頃のあこがれの人が兼高かおるさんだったのもきっとここから。

そんな父は私が小学校に上がるタイミングで、どこか暖かいアジアの国への赴任が打診されたようです。しかし私の小学校が決まっていたこともあり、「ギリギリまで悩んで、結局断念した」と、後に母から聞いたことがありました。

父が会社を去るとき

そんな父が病に倒れ闘病生活が長くなり、とうとう仕事を辞めるときがきました。会社を去る最後の日、入院中の父に代わって私が父の会社に荷物を取りに行ったのですが、そのときの父のデスクの上の風景が今でも目に焼き付いています。デスクには一枚の絵葉書が立てかけてありました。それはどこかの南の島のたぶん夕暮れ。一艘の船も映っていました。父の荷物は整理され持って帰るだけにしていただいていたので、今思うと、事務所の方がその絵葉書だけはそのままにしてくださっていたようです。おかげで私は、そこから父がそのデスクで元気に仕事をしていたときの姿を感じることができたのでした。

父の思いとリンクする写真

そして最近、自分の机まわりの整理をしていたとき、そのときの絵葉書に似たものを見つけました。これはずっと以前、私が好きと感じて何気なく買った絵葉書。ずっと存在を忘れていましたが、今年一年、病気の治療から縁が切れない日々を送り、気持ちもなかなか上がらないなか、ふと見つけたこの絵葉書から静かなエネルギーをもらっていることに気づきました。それはきっと父も同じだったはず。なぜか「惹かれる見知らぬ地に、いつは訪れたい」とも思っていたのではないだろうか、そんなことも感じました。

昔、何気なく買った市販の絵葉書も自分の奥底にある感情と、また父への思いとも改めてリンクしたことで、今の私の日々の心のエネルギーにもなっているようです。

氷の花 シモバシラ

「シモバシラを探しに高尾山に行ってきます」と言うと、たいていの人は「えっ、わざわざ?」と言われます。『シモバシラ』とはシソ科の植物で、高さ40~70cm程度の多年草です。8月下旬から10月上旬には、白い穂状の小さな花を咲かせます。そして、花が終わり葉が散ると残った茎もやがて立ち枯れてしまいます。冬になると地上部分は枯れてしまいますが、地中の根の部分はまだ元気で保水能力を保っています。

さて、この氷の花はどのようにできるのでしょうか? 氷の花は『シモバシラ』の根から吸い上げられた水分が枯れた茎からしみだし、冷たい外気に触れて凍っていくことで作り上げられます。凍らなければできないので、気温が氷点下にならなければ作られません。気温が氷点下になっても雨や雪が降っていたり、風が強い日は氷の花はできません。

午前中の気温の低い時間帯に見ることができますが、気温が上がってくると溶けてしまいます。氷点下になり条件が整っている日に何度も氷結を繰り返すので、季節が進むと茎はボロボロに裂けてしまって土も固く凍りつき、日に日に小さなものしかできなくなります。撮影当日も大きなものでも7~8cmくらいのものしか見ることができませんでした。

リボンやフリルのようだったり、薔薇の花のように巻いているものだったり、形はさまざま。繊細でアーティスティックな氷の花はひとつひとつが異なる形で咲きます。どんな小さなものもひとつひとつが異なる形なので、見ていて飽きません。冬の間(12月の中旬ころから2月まで)、条件が整った午前中の早い時間にしか見られない氷の花。毎年の楽しみです。

〈首都圏枝毛線巡礼〉(8)京王電鉄動物園線

ライバル出現で閑散路線に

『京王線』の『高幡不動駅』から分岐する『動物園線』は、その名のとおり、『多摩動物公園』を訪れるお客さんを運ぶために1964年に開業した比較的新しい路線です。
『高幡不動駅』を出発した電車は東から南西へとぐるりと方向を変え、丘の中腹を這いあがるようにして登っていきます。約5分ほどで終点の『多摩動物公園駅』に着きますが、駅を出ると目の前に立ちふさがるように『多摩都市モノレール』の駅がそびえたっています。この並行するモノレール線ができたおかげで、それまで沿線の大学への通学客や都心への通勤客がそちらへ移行し、『動物園線』はいっきょに閑散路線になってしまいました。

ピンクの車体に動物のイラストなどをあしらった電車が数えるほどのお客さんを乗せて走る姿は、なんとなくもの悲しささえ感じさせます。ですが、きついカーブを右に左に曲がりながら、眼下の谷間に広がる町並みを見下ろしながら走る車窓は、ちょっとした山岳鉄道の気分。それを楽しみながら乗るのも、またいいのです。

土方歳三ゆかりの寺へ

『高幡不動駅』へ戻り、『高幡不動尊金剛寺』にお参りしましょう。関東三大不動のひとつで、真言宗智山派別格本山、1100年前の平安時代初期に慈覚大師円仁が山中に不動堂を建立し、不動明王を安置したのに始まると言われています。奥殿に祀られたご本尊の『不動明王』は平安時代の作、その巨大さは近くで拝観すると圧倒されます。

おみやげは、門前にある『松盛堂』の『高幡まんじゅう』です。小柄なお饅頭で、粒あん(茶色)とこしあん(白色)があります。おや、『歳三最中』なんてものもありますよ。聞けば、『高幡不動』はあの新選組の『土方歳三』の菩提寺なんだとか。なるほど、納得。

〈洋楽ポップス回顧録〉(8)愛のテーマ Love’s Theme

オーケストラ・サウンドとディスコ・ビートが一体化

壮大なオーケストラ・サウンドとディスコ・ビート、心地よいギターのカッティングが一体となって壮大な世界観を構築するインストゥルメンタル曲。そんな形容がふさわしい『愛のテーマ』(Love’s Theme)は、1970年代のアメリカのソウル・ミュージック界を代表する大ヒット曲として、ディスコだけでなく多くの場で流されていました。この美しい曲を創り出したのは、バリー・ホワイト(Barry Eugene White)。そして自身が編成したラブ・アンリミテッド・オーケストラ(The Love Unlimited Orchestra)の名義で1973年に発表しました。

私が最初に聞いたのは、やはり高校生のときに夜な夜な耳を傾けていたラジオですね。インパクトあるストリングスが絡み合うイントロが聞こえた瞬間、「これは気持ちエエ曲じゃ」といっきに魅了され、オーケストラが刻む音楽のなかに引き込まれました。特に弦を主にしたインストなので、落ちついた大人っぽい仕上がりにも何か新しさを感じたような気がします。

ストリングスのアレンジを聴いたバリーがインスト曲に決定

バリー・ホワイトは1944年に生まれ、ロスアンゼルスで少年時代を過ごします。幼い頃は、ジャズやクラッシック音楽を愛する母親のレコードを聴いて育ったようです。教会でゴスペルを歌い鍵盤楽器をマスターし、16歳のときには初めてのレコーディングも経験しました。そして、1960年代になるとソングライターやスタジオ・ミュージシャンとして活躍します。

1973年、『愛のテーマ』をシングル・レコードとしてリリースしましたが、当初はバリー自身のヴォーカルが入る予定だったそうです。しかし、ジーン・ペイジによるストリングスのアレンジを聴いたバリーは、その美しさにいたく感動し「自身のヴォーカルは必要ない」と判断したみたいです。

ちなみに、『愛のテーマ』は日本だと航空会社のCMに使用されていて、私たちにとっては空港とか飛行機をイメージするメロディーですが、本国アメリカでは長い間、スポーツ番組でゴルフを放送する際のオープニング・テーマに使用されていたとか。だとすると、アメリカの人たちにとっては鮮やかな芝の緑や大自然などを思い起こす曲なかもしれません。

いずれにしてもこの曲は、美しい風景が似合うロマンティックなメロディーで多くの人の心を惹きつけてやまないスタンダードだといえそうです。

▼〈洋楽ポップス回顧録〉(8)愛のテーマ Love’s Theme
https://www.youtube.com/watch?v=8YS7sWCG_ZE

睡眠とコーヒー(カフェイン)

皆さん、よく眠れていますか? 睡眠改善インストラクターの江川です。今回のテーマは、『睡眠とコーヒー(カフェイン)』についてです。

体内のカフェイン減少には時間がかかる

皆さんはコーヒーを飲みますか? 私も大好きでよく飲んでいますが、睡眠への影響を考えると飲み方に工夫をするとよさそうです。

ご存知の方もいるかもしれませんが、コーヒーなどに含まれるカフェインには覚醒作用があります。コーヒーを飲むと頭がシャキッとしますよね。カフェインが脳に作用し、覚醒するわけです。集中したい時にも役立ちますよね。

ただ問題は、体内に取り込まれたカフェインが減少していくには思っている以上に時間がかかってしまいます。カフェインの覚醒作用の持続時間は約4時間程度といわれていますが、かなり個人差があります。実際、血液中のカフェインの濃度が半減するまでの時間は、2時間〜10時間程度とかなり研究によってばらつきがあります。また、カフェインを含む飲み物の量にも関係します。

カフェインの摂取は午後3時まで

お伝えしたいことは、カフェインによる覚醒時間は人によって異なりますが、目安として午後3時以降は控えるとよいということです。人によっては午後3時より前の時間にコーヒーを飲んだとしても、夜の睡眠に影響が出てくる人もいるかもしれません。私はカフェインの影響を受けやすいタイプで、たまに夕方5時ぐらいにコーヒー飲んでしまうことがあります。すると決まって夜は寝つくまでの時間がかかります。やってしまった…という感じですね。「集中したい、一気に仕事片付けちゃいたい」というときはつい夕方以降でも飲んでしまうわけです。

「どうしても夕方以降にもコーヒー飲みたい」というときは、カフェインの少ないノンカフェイン、カフェインレス、デカフェのタイプを選んではいかがでしょうか? 最近はカフェインレスのコーヒーも増えてきました。

最後に、カフェインを含む飲み物はコーヒー以外にもあります。もっともカフェインを含んでいるのは緑茶の玉露です。他にも含有量は少ないですが、紅茶、日本茶にも含まれています。寝つけないなーという、その犯人が実は毎日飲んでいる飲み物ということもあり得ます。私も気をつけたいと思っています。

雪の2日後

雪の2日後

丁寧に雪かきされた道の
あっちにも
こっちにも
白い動物が
うずくまっている

雪だるまにも
雪うさぎにも
なれなかったと
つぶやいて

先日は、東京23区に久しぶりに「5㎝以上雪が積もるでしょう」と天気予報が告げ、「不要不急の外出は避けましょう」「リモートワークが可能であればそうしましょう」などの情報も流れ、街はかなりの大騒ぎでした。私の所属する大学では夕方から開催する予定の卒業論文発表会に学科の大学生が300人以上も参加するため、「帰りの電車が動かなくなる前に会を延期すべきか、時間を短縮すべきか」などの論議がメーリングリストで飛び交いました。

予報どおり雪が降り始めると、灰色の道路が、街路樹が、道ばたの車が、落ちてくる雪に覆われていきます。ぱさぱさぱさぱさ…ぱさぱさぱさ…と静かに降る雪のなすがままに街にあふれていた綺麗な色も汚い色もどんどんなくなっていき、都会はだんだん無口になっていきます。今日はどこまで積もるのでしょう。

雪になれていない東京でこんなふうに雪が降ってしまうと、さまざまなことが予定どおりにならなくなったり、転倒やスリップなどの危ないことが生じたりして、大変なことはわかっていても、いつもの景色が音さえ吸収されながら白く美しく変わっていくと、不思議にすがすがしい気持ちになります。

普段は熱心に家の前を掃除しない私も「前を通りかかる人が転ぶことのないように」いや、むしろ明日の朝「慌てて飛び出す自分が尻餅をつくことがないように」と、夜の内に雪かきをしました。ざりっざりっという音がなにか爽快でした。見回せば、闇のなかに白い雪の小山があちこちの家の角にできていました。しかし、次の日からの暖かい日差しに今年の雪は数日後には溶けてしまいました。

そういえば、数年前に東京を驚かせた大雪のときはその後も寒い日が続いて、積み上がった雪たちが1週間経っても消えませんでした。あちこちの家の角で消えそこなっていた雪は、まるで、白いマンモスがうずくまっているように見えました。ここに一頭、あそこには親子で、寒風のなかで「そう簡単に春にはならないのだ」と頑張っていた姿を思い出します。

沈黙の涙のなかで

淡々と、ふと心の底を垣間見せながらも、虚空を漂うように進んでゆく歌。水面のようにそれを映し出す口数少ないピアノ。ギターやフルートもあくまで静か、でしゃばる所が微塵もない。ドラムスは滑らかにボサリズムを刻むが、ベースはどっしりとこれらの音を繋ぎ止めてゆく。そんな音が綴るのはこんな歌詞だ。

誰に言えない涙のなかに、誰にも言えない夢がある
私の心を時々、波立たせるような夢が
でももの言えないから、夢も消えてしまい、
そして、誰にも言えない涙にくれる自分がいる

時々、思い切り笑ってみる、空っぽな心を隠すため、
孤独を紛らわすため
でも、私はそんな笑い屋じゃない
何も言えない、本当に何か言ってみたいのに
すごくがんばったと思うのだけど、途中で腰砕け

私、いつだって、ダメな時にばかり、愛を探し続ける
現実って何なの?どうやったらわかるの?
あなたは私みたいなおバカさん、わかるわけないわね
だからあなたにも誰に言えない夢が、誰にも言えない涙のなかにある

不器用で口下手な、とても繊細な女性の所在無げな寂しさが、シンプルな英語詞から伝わる。だが、愛しているはずの相手の存在感は希薄で、それは彼女の愛が一方的な片思いだからなのだろうか? もしや、相手は彼女の勝手な幻想? ただ最後の二行を読む限り、彼女と相手に全く何の繋がりもないわけではないらしい。

キュートな猫なで声で洒落たジャズを歌うブラッサム・ディアリ―のこの曲、実は彼女が伴侶を亡くした経験を基に作られた曲らしい。なるほど、もう決して会うことの叶わない、手の届くことのない相手への歌というなら、歌詞の不思議な謎めいた部分もストンと腑に落ちる。

ブラッサムはパリで活動していたキャリアの初期、同じャズ音楽家でベルギー人のボビー・ジャスパーと結婚した。その結婚はあまり長続きしなかったが、ほどなくボビーは突然、病没してしまう。7年後にこの曲の最初の録音を発表するが、その出来に満足できなかったのか、さらに6年後にもう一度、録音したのが、伴奏を思い切り切り詰めテンポも落とした、ここで紹介したヴァージョンだ。彼女はこの曲を生涯の主要レパートリーとして歌い続け、85才で亡くなった。ブラッサムの結婚の記録はこの一度だけである。

▼Inside a silent tear/ブロッサム・ディアリ― 
https://www.youtube.com/watch?v=9LZCFlF-BWg

『がん情報サービス』をWebと紙媒体で展開し、多くの人を支えていく

若尾文彦氏 対談写真

若尾文彦 氏

国立がん研究センターがん対策情報センター本部 副本部長

1986年に横浜市立大学医学部卒業し、1988年国立がん研究センターレジデント、1991年がん専門修練医を経て、1992年国立がん研究センター中央病院放射線診断部医員、1998年同医長を歴任。画像診断医として、腹部実質臓器の画像診断に従事しながら、国立がん研修センター情報副委員長としてホームページからの〈がん情報〉の発信などに取り組む。

2006年10月がん対策情報センターの開設に伴い、センター長補佐、情報提供・診療支援グループ長を併任し、『がん情報サービス』(ganjoho.jp)の運用などに従事。2012年には、国立がん研究センターがん対策情報センターのセンター長に就任。そして、2021 年より国立がん研究センターがん対策研究所 事業統括、2023 年より国立がん研究センターがん対策情報センター本部 副本部長。

国立がん研究センターでの経験が大きなターニングポイント

〈ら・し・く〉
若尾さんは、いつころから医師を目指されていましたか?
若尾
小・中学生のころから理科が好きでした。高校2年までの「宇宙・地球物理」への興味からもっと身の回りのことである体のことへと興味が移り、医学部を目指すようになりました。

ただ、手先が器用ではなかったので、専門を考えたとき「外科というより内科系かな」と思い、物理・機械などに関心があったことから放射線科に興味をもっていました。

医学部5年生になって、国立がん研究センターの医師による講義を聴く機会がありました。それまで放射線科の仕事は「病気を見つけるまで」と思っていましたが、その講義では「病気を見つけて、それがいいものか悪いものか判断し、どこまで病状が進んでいるかなどを把握すること」だと論理的に説明され、目からウロコの思いでした。

そんなとき、夏休みに国立がん研究センターで勉強できる機会を得、2週間ほどいる間に緻密な読影にふれることができました。また、カンファレンスで放射線科のプレゼンや術前術後の診断など、さまざまなカルチャーショック的な経験をして放射線科を目指すことになりました。

〈がん〉情報の提供サービスは幅広く、とても重要な業務

〈ら・し・く〉
1988年に国立がん研究センターに入職されて放射線診断部に所属され、以来一貫して〈がん〉と関わっていらっしゃいますが、そのきっかけはなんだったのでしょうか?
若尾
私が学んだ横浜市立大学医学部ではローテーションの仕組みがあり、「放射線科 → 内科 → 外科 → 放射線科」と経験をして2年が過ぎたころ、国立がん研究センターで「レジデント募集」(※)というポスターを見て受験し、国立がん研究センターで勉強(修業)する機会を得ました。

※編集部注
▼レジデント
医師免許を取得して間もない医師を、レジデント(研修医)と呼ぶ。国立がん研究センターの場合は、文字どおり“住み込み”となる。

〈ら・し・く〉
2006年にはがん対策情報センター開設にあたり、『がん情報サービス』(ganjoho.jp)の立ち上げ・運用に従事されることになりますが、〈がん情報〉の分野で働きたいというご希望をおもちだったのでしょうか? また、サービス立ち上げの思いやお考えをお聞かせください。
若尾
1993年にスタートした国立がん研究センターでスーパーコンピューター導入プロジェクトのメンバーとなり、プロジェクトの画像部分を担当しました。そこでは放射線の画像データベース作成、3次元画像構築の診断応用、電子カルテ情報のAI解析、情報提供などに関わり、画像診断や画像解析の活用を経験しました。

プロジェクト終了後、情報センターを立ち上げる話が出てきました。これは情報発信だけでなく医療支援も展開するサービスで、患者・市民パネルのスタートアップ、診断のお手伝いや統計情報の集計・提供など、業務内容はかなり幅広い範囲に広がっていきました。インターネットが広がり始めたころでしたので、ますます正しい情報の提供が必要とされている時期だったと思います。こうした時代背景もあって、私自身も情報提供の業務にはかなりの関心をもっていましたね。

〈がん〉に関する最低限の知識、確かな情報の在処は早くから知っておきたい

〈ら・し・く〉
一般の人が医師と対等なコミュニケーションを交わすにはかなりの壁が立ちはだかり、患者の多くは質問することさえためらうのではないでしょうか。そういう状況を払拭するため、多くの人が〈がん〉に関する情報リテラシーを上げるべく最初にネットで検索します。しかし、そこで待ち受けるのが玉石混交の情報であり、目的のWebサイトにはなかなかたどり着けません。

「欧米に比べて日本のネット検索では、目的の情報にたどり着ける人が半分以下」と聞いたことがあります。このような状況はなぜ生まれていると思われますか?
若尾
「患者さんがどこから情報を取っているか」という内閣府世論調査(※)によると、トップは病院の医師・看護師や相談窓口、その次が〈がん〉相談支援センターなのですが、インターネットと〈がん〉情報サービスを足すと約5割の方がネットを情報源にしています。

本来なら主治医がもっと情報を提供すべきだとは思いますが、患者さん側の遠慮などもあり、また医師も診療時間が限られていて、主治医からの情報発信が難しいのではないでしょうか。そんな状況もあり、患者さんはインターネットに頼る方が増えていると思われます。

少し古い内閣府の世論調査(2016年)では、「2人に1人が〈がん〉に罹患する」「5年生存率は50%を超えている」というデータをご存知の方は3分の1という結果が出ています。つまり、〈がん〉を体験していない方には「〈がん〉は稀な病気で不治の病」というイメージが残っているため、告知されると想定外の大事件と感じて慌ててネット検索を行い、耳触りのいいことを言っている自由診療に引っかかってしまったり、仕事を辞めてしまうということが起きてしまうわけです。

2018年の研究論文ですが、日本で「肺がん、乳がん、胃がん、大腸がん、肝がんの治療・治癒」で検索してみたら、247のWebサイト中、科学的根拠に基づいたものは10%しかなかったという結果が出ています。ですからネットの情報は注意しないといけないし、医療機関であっても間違った情報を出していることもあります。

Googleが検索結果を掲示するプログラムの改善を繰り返していますが、検索結果で問題があるWebサイトが上位に掲出されることが問題となっていました。特に、WELQ問題(※)が公になる前はかなりひどい状況だったと言わざるを得ません。WELQ問題に対処するため、Google検索で医療機関が上位に表示されるよう改善されましたが、自費診療やちょっと怪しげな医療を提供している「医療機関」が未だに上位に出てきてしまいます。

ですから、〈がん〉になる前から最低限の知識をもっておくこと、世の中には間違った情報があふれていて、医師であっても根拠のない情報を発信していること、確かな〈がん〉情報はどこにあるということを知っておいていただきたいと思っています。

※編集部注
▼内閣府「がん対策に関する世論調査」2023年7月
がんの治療法や病院に関する情報源
https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-gantaisaku/gairyaku.pdf

▼WELQ(ウエルク)問題
2016年大手IT企業DeNAが運営していたWELQ(ウェルク)という健康・医療情報Webサイトが、医学的に根拠のない多くの情報を掲載し、ずさんな内容にもかかわらずSEO対策に力を入れ、検索上位に掲出されたことが問題となり、閉鎖に追い込まれた。

〈ら・し・く〉
そのためにも、『がん情報サービス』(ganjoho.jp)の周知徹底が望まれるところかと思いますが、どのくらいの認知度で、Webサイトを訪れるのは年間何人くらいなのでしょうか? 目標としている水準と比べて、どのような状況、達成率でしょうか?
若尾
2023年だと、ユーザー数が1,830万人、5,124万PVとなり、『がん情報サービス』の利用者はかなり増えてきています。特に前述のWELQ問題を経て、Googleのおかげで2018年からPV数もぐんと伸びています。

2022年夏にWebサイトリニューアルをしてからは見やすくシンプルな画面になり、またPCではなくスマホ画面を前提としてデザインしているので、だいぶ使いやすくなっているかと思います。特に目標値などは定めていませんが、内閣府の世論調査で2018年の調査と比べて『がん情報サービス』は16.6%から22.8%に増加しています。さらに上を目指していきたいと思っています。

『がん情報サービス』は、「公平性」「中立性」「バランス」を重視した運営

〈ら・し・く〉
『がん情報サービス』(ganjoho.jp)の特徴を教えていただけますか? また、このサービスの効果的な使い方はどのようなことでしょうか?
若尾
まず、このWebサイトは〈がん対策基本法〉をベースに構築されていて、国立がん研究センターだけで制作しているわけではありません。がん関連学会、全国のがん拠点病院(※)、患者パネルなどに原稿作成のご協力いただき、外部委員を含む編集委員会を経て総合的に判断して、「公平性」「中立性」「バランス」を念頭に運営しています。特にわかりやすさを重視し、「患者さんにとってつらい表現になっていないか」など細かいチェックを行っています。

ページの構成としては、「一般向け」「医療者向け」、そして「統計」に分類されています。患者さんは自分の〈がん〉から入って、その後、細分化されたページに着地できるようになっています。たとえば〈胃がん〉の場合、「胃がん」をクリックすれば、「胃がんについて」「検査」「治療」「療養」「臨床試験」「患者数」「予防・検診」「関連リンク・参考資料」といった情報にたどり着けます。〈がん〉ごとに8ページ構成になっていて、音声対応もできます(〈希少がん〉は1ページ)。内容については、ガイドラインの改定を受けてアップデートしています。さらに各学会でそれぞれの分野から協力いただける医師を推薦してもらい、原案の時点でチェックをしてもらっています。

※編集部注
▼がん拠点病院
全国どこでも質の高い〈がん医療〉を提供することができるよう、全国にがん診療連携拠点病院を456か所(都道府県がん診療連携拠点病院51か所)、地域がん診療連携拠点病院357か所、特定領域がん診療連携拠点病院1か所、地域がん診療病院47 か所を指定しています(令和5年4月1日現在)。

厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/gan/gan_byoin.html

▼がん情報サービス がん拠点病院一覧
https://hospdb.ganjoho.jp/kyoten/kyotenlist

〈ら・し・く〉
その他の機能として便利なコンテンツはありますか?
若尾
「病院探し」もできるようになっています。自分の〈がん〉や希望する治療法などを選ぶと、それができる病院が全国のがん拠点病院のなかからリストアップされます。「統計」からは、ステージごとの症例数なども出ているので、どこの病院で実績が多いのか判断の目安にできます。あとは、よくニュースになる「生存率」は数字の羅列でなく、グラフで見やすくなっています。50音順から探せる「用語集」も便利ではないでしょうか。

また、白血病やリンパ腫などの血液の〈がん〉は非常に治療のアップデートが早いので、研究班のページを介することで、例外的に民間の製薬会社の研究のWebサイトにリンクできるようにしています。

「院内がん登録」では、〈がん種別〉、ステージ別の実績件数を見ることができるので参考にしていただけます。臨床試験を探すデータベースでは、「カテゴリーで探す」に加え、「チャットで検索」という探しやすい工夫もしています。さらに、試験の情報から各病院の担当窓口の連絡先までつなげるようにしています。

〈がん〉に罹患されたばかりのビギナーにはまだまだ『がん情報サービス』は知られていないので、罹患前から知っていただききたいですね。

インターネットに遠い人には、紙媒体の『がんの冊子』を制作

〈ら・し・く〉
『がん情報サービス』はとてもよいWebサイトですが、ネットによる情報を得にくい人がまだかなりいるかと思います。高齢者だけの家庭が多い地域では、〈がん〉の冊子が頼りでしたが、これもだんだんネット情報へと変わりつつあるようです。ネット情報にアクセスできない患者さんに対しては、何か情報提供の方法はないものでしょうか?
若尾
当初は計画していなかったのですが、「高齢の患者さんのために冊子がほしい」という患者委員の方の声があり、『がんの冊子』の制作を始めました。PDFで印刷できるようになっているとともに、全国のがん拠点病院のがん相談支援センターで手にとることができます。がん相談支援センター以外に、全国の図書館624か所で展開しています。『がん情報ギフトプロジェクト』ということでご寄付をいただき、事業運営に当てられています。

また、がん教育の場でも〈がん〉になる前からの情報提供が本格的に始まっています。小学校は2020年、中学校では2021年、高校では2022年から全校展開となりました。保健体育の教科書に〈がん〉の情報が記載されていますし、『がん情報サービス』やマギーズ東京(※)のことなども取り上げられています。地域では図書館での展開が始まりましたが、逆に大人が取り残されないように、地域や職域で大人向けのがん教育ができるといいですね。

※編集部注
▼マギーズ東京
〈がん〉になった人とその家族や友人などが気軽に訪れて、〈がん〉に詳しい友人のような看護師・心理士などに安心して話せる場を提供している施設。英国生まれのマギーズキャンサーケアリングセンター(マギーズセンター)の初の日本版。
https://maggiestokyo.org/

「誰でも無料」で利用できるがん相談支援センターも強い味方

〈ら・し・く〉
NHKの番組(※)でも〈肺がんサバイバー〉の方の活動を取り上げていましたが、治験や使える薬の選択肢を増やしていくなど、ますます「患者の力」が求められていると感じます。あのレベルの活動は誰でもができるとは思えませんが、まずは患者力をあげるためにはどうしたらよいでしょうか? 何か患者にアドバイスがあればお願いします。

※編集部注
▼NHK ETV特集 
患者が医療を変える 〜肺がんサバイバーの挑戦〜(2024年1月27日放送)

若尾
患者力を上げるためには、まずは疑問に思ったことを主治医に聞いてみることですね。遠慮せずに分からないことは確認することが大事です。医師が忙しい場合も多いと思うので、看護師、がん相談支援センターなど、話を聞いてもらえる場を探して、疑問や悩みをひとりで抱え込まないようにしましょう。とにかく困りごとや希望は主治医や医療者に伝えてほしいですね。

社会的にはまだまだ知られていないのですが、がん相談支援センターは「誰でも無料」で利用できます。全国のがん拠点病院に設置されていて、その病院にかかっていなくても相談に乗ってもらえますから、まずは連絡してみてください。

あとはネットリテラシーとしては、見つけた情報にすぐ飛びつかないこと。まずは疑ってみることが重要です。情報をチェックするときは「か・ち・も・な・い」というキーワードがあります。

か:書いた人は誰?
ち:違う情報と比べた?
も:元ネタは何?
な:何のための情報?
い:いつの情報?

コミュニケーションはとても大事です。医療者側からも患者さんに対して「よく調べましたね」と患者さんが頑張っていることを認めることから会話をはじめて、丁寧に対応していくことが大事ですね。

〈ら・し・く〉
最後に若尾さんのこれからの目標というか、今後の生き方(公私共に)はどのようなものか、お聞かせください。また、皆さんへのメッセージもいただけますでしょうか?
若尾
あと3年で定年となりますが、『がん情報サービス』をもっと多くの方に知っていただくため、情報発信を続けていくことに力を注ぎたいですね。〈がん〉と最初に言われたときの患者さんやご家族のショックを少しでも和らげて、適切な治療に導くことができたらと思います。そして、さまざまな支援情報を得て活用することで、QOLを高める療養生活を送ってもらいたいと願っています。

インタビュー掲載日:2024年2月13日


今回は、国立がん研究センターで長年活躍なさっている若尾文彦氏から貴重なお話しを伺うことができました。疑問に思ったことは、まずは遠慮せずに主治医に聞いてみること。これが患者力を上げるための第一歩になるそうです。

〈洋楽ポップス回顧録〉(7)マンダム〜男の世界 Lovers of the World

日本国内の中高年層しか知らない洋楽かも

洋楽のなかには日本独自にヒットした曲が数多くあります。たとえば、ヴィーナスの『ショッキング・ブルー』(Venus:The Shocking Blue/1970年)やダニエル・ブーンの『ビューティフル・サンデー』(Daniel Boone:Beautiful Sunday/1976年)、ザ・パワー・ステーションの『ゲット・イット・オン』(The Power Station:Get It on/1985年)など、数え出すと枚挙に暇がありません。

なかでも1970年に爆発的にヒットした『マンダム〜男の世界』(Lovers of the World)は、現在だと日本国内の高年層しか知らない曲だと思われます。私もなんとなく洋楽の素晴らしさにのめり込み始めた中学1年生のころに聞いて、「かっこエエ」と思ったことを覚えています。

“男の世界”を歌で体現したジェリー・ウォレス

『マンダム〜男の世界』は、TVCMの曲として使用され大ヒットにつながりました。その会社が日本の男性化粧メーカーの『マンダム』。1970年当時の社名は『丹頂』で、化粧品シリーズ『マンダム』を初めて発売したときのTVCMソングがこの曲でした。しかも、起用された人物がチャールズ・ブロンソン(Charles Bronson 1921年-2003年)。これでもかというほどの“男の雰囲気”が溢れ出るCMでした。

こうした“男の世界”を体現した曲を見事に歌い上げたのが、アメリカのカントリー歌手ジェリー・ウォレス(Jerry Wallace 1928年- 2008年)でした。1960年代半ば以降はカントリー・チャートでそこそこのヒットをコンスタントに出していましたが、『男の世界』を収録するまではアドバンス(レコード会社からの印税前払い金)も止まっていた状態だったみたいです。

ところが、この曲を歌ったことでウォレスのアーティストとしての流れが大きく変わります。1971年にはレコード会社の移籍をきかっけにカントリー・チャートを賑やかせるヒットを連発し始めました。もちろん、遠い日本での大ブレイクがアメリカでの活躍に直接影響を及ぼしたとは思えませんが、少なくとも『男の世界』は彼の人生を変えるきっかけになったのだといえるのではないでしょうか。

▼マンダム〜男の世界 Lovers of the World
https://www.youtube.com/watch?v=N9JN4aqMduo

〈絵本は心のお薬〉(8)『ガラスのなかのくじら』

絵本は子どものために書かれたものですが、大人にもいいものです。心に響いたり、深い気づきがあったり、忘れていた思い出がよみがえったり…。大人の心に効く絵本を、絵本専門士で絵本セラピストの大江美保子がお届けします。

ほんとうのおうちは、ここではない

街の真ん中のガラスの水槽内に住んでいるクジラのウェンズデーの物語です。

ガラスのなかがウェンズデーのすべて。自分を真ん中にしてすべてが回っている暮らしでした。

ある日、ウェンズデーはジャンプをすると遠く向こうに見える“あおいもの”に気づきます。それが、何かは分からないけれど、“あおいもの”を見るとドキドキする。ウェンズデーは“あおいもの”を見たくて何度もジャンプする。何も知らない街の人たちは、ウエンズデーのジャンプを見て拍手喝采をします。

ある朝、水槽の近づいてきた女の子がウェンズデーに言います。「あなたのおうちは、ここではない。ほんとうのおうちは海よ」と…。

ウェンズデーは“海”を知らない。“海”のことを考えても分からない。だから、“海”を忘れようとするけれど、忘れようとすればするほど、なぜか、遠くに見えるあの“あおいもの”が見たくなる。

ウェンズデーはジャンプする。もうちょっと、高く!! これ以上とべないくらいに高く!! 思い切って高く!!

思い切って高く飛んだウェンズデーは、絵本を飛び出し、どこに行ったのか…。ちょっとした仕掛け絵本にもなっている美しい絵本です

効能

人間には環境が変化しても体内の環境を一定に保とうとするしくみがあります。これは、ホメオスタシス(生体恒常性)といわれているもので、健康的に生きていく上でとても大切な働きです。

だから、心理的にも、基本、変化が苦手です。今いる場所から、知らない場所へ飛び出すには、とても大きな勇気がいります。

でも、反対に「変化したい」「今の場所から未知の世界へ飛び出したい!」という衝動に突き動かされるときもあります。そう、このウェンズデーのように…。遠く向こうに見える“あおいもの”を見たときのウェンズデーのドキドキとした感情は、先祖から受け継いだ身体中の細胞が目覚め、騒ぎ出したのか、未来からの誘いだったのか…。

人生のターニングポイントについて考えさせられる効能がある絵本です。 皆さんにとって、理由もなくドキドキするものって何ですか? それは、もしかしたら人生に変化をもたらしてくれるものかもしれませんね。

▼『ガラスのなかのくじら』
作:トロイ・ハウエル&リチャード・ジョーンズ  
訳:椎名かおる  
発売:あすなろ書房
http://www.asunaroshobo.co.jp/home/search/info.php?isbn=9784751528419