自分らしく

ダウン症の孫と石垣島に行って感じたこと

家内がウツで、いつも私が薬をもらいに行く

昨日、稲毛駅前のOクリニックという精神科へ家内のウツの薬をもらいに行った。精神科は30日分しか薬を処方できないので、毎月、行かなくてはならない。実に面倒だけど、仕方がない。

なぜ、私が行くのか…家内は「行くのが怖い」と言う。Oクリニックは患者数が膨大で、しかも予約制ではない。普通に診察を受けると、最低2時間はかかる。それから薬局で最低1時間。計3時間は覚悟していかねばならない。そして、精神科だから「変な人」が必ずいる。ずっと受付の横で立ってブツブツ言う人。大声で唾を飛ばしながら、わめく人。たまに救急車で薬中毒なのか泡吹いた人が運ばれてきたりする。だから、家内は「怖いから行かない」と言う。「仕方がないなあ」というわけになる。

ただ、お薬の予約はできる。それを家族が取りに行ってもいい。ただし、代理診察を受けなくてはならない。「変わりないです」とか「春になって大分よくなりました」とかいい加減なことを言って、前回と同じ薬をもらうという随分と形式的だけど、それだとクリニックで30分~1時間、薬局で30分ぐらいですむので、いつもそのコースを選択する。

いろんな障がいをみんな抱えている

精神科で待っていると、いろんな患者さんを見てしまう。昨日は綺麗だけど可哀想な若い女性をみた。2度目だ。窓口の前の彼女が支払いを終えて、出口の方へ行きかけるとすぐにクルリと振り返り、窓口の係の方に「私、支払いましたか?」と訊く「ええ、お支払いされましたよ」と、それでまた出口へ向かいかけては振り返り「私、支払い終えましたか?」「ええ、いただきました」という繰り返しを今日は13度やった。前に見たときは11度。可哀想で涙があふれそうになった。

「障がい」というのは、さまざまな形がある。先天的なものもあれば、後天的なものもある。自分では選べない「故障」なんだ。神様を恨みたくなる。生きていくのは「苦」なんだと、改めてお釈迦様の言葉を想い出す。

努力や思いはきっと通じる

我が娘の上の子(私の初孫)には「障がい」がある。生まれたときに周りの人に「育てられる親を選んで神様が授けたのよ」と慰められたけど、神様は残酷だと思った。娘は鬱のように落ち込むし、娘の夫にも「大きな負担がかかるので大丈夫だろうか」と心配は募る。うちの家内も、心配に心配を重ねてさらに鬱がひどくなった。

しかし、数年経って娘に2人目の子どもができた。健常の子だった。娘も家内にも元気が出た。娘の夫の仕事も偶然、順風満帆になった。家族旅行に行く余裕と元気もできた。

去年、今年と2年連続で僕たち夫婦も一緒に沖縄旅行に連れて行ってくれた。「こういうのを幸せと呼ぶのかもしれない」と他人事のように感じながらの旅行になった。上の孫と楽しくご飯を食べる娘夫婦を見ていて、「こうなることを神様は判ってたんだなぁ」と、少し神様を見直したような気分になった(笑)。

四苦八苦の「苦」とは、簡単に言えば「叶えられないこと」なんだろう。「叶えられない」苦しみを抱えて、のたうち回る人間だけど、日々の努力や家族への愛情で、少しずつかもしれないが、「叶えられることはある」のだと石垣島の沈む夕陽を見て思った。また涙が出た。

Author profile

福田正文
福田正文
1955年、羊年の山羊座生まれ。
2017年、大阪でコーヒー焙煎卸会社を経営。現在はマンションに建て替えて「悠々自適になる」つもりが、そうでもない状況。
千葉市在住。千葉ではパソコンメンテとWEBサイト制作会社を経営。
趣味はパソコンの組立&再生、ピアノとギターの演奏、読書。

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