自分らしく
〈洋楽ポップス回顧録〉(1)It Never Rains in Southern California
1957年生まれの私が洋楽に心を引かれるようになったきっかけは、少し上の世代の人たちを熱狂の坩堝に導いた『BEATLES』の音楽です。彼らの影響を受けた数多のミュージシャンたちが生み出す楽曲にも魅了された私は、ズッポリと洋楽の世界に入り込み今日に至っています。そんな60年代〜70年代にリリースされ、欧米だけでなく日本でも好調な売れ行きを記録した洋楽をご紹介していきます。
深夜ラジオから流れ出たメロディーに魅了される
第1回目は、1972年にリリースされたアルバート・ハモンドの『It Never Rains in Southern California』。深夜ラジオから毎日流れ出したこの楽曲は、広島県の山間部で高校受験の準備をダラダラ進めていた私を完全に引き込みました。これほど爽やかなメロディーは、聞いた覚えがなかったからだと思います。
ラジオ放送を聴いた翌日かどうか曖昧ですが、当時は地元に2店しかなかったレコード専門店のひとつに赴いて、早速、このシングル盤を購入しました。たしかB.J.トーマスの『雨にぬれても』も併せて買ったような記憶があります。だとしたら、このシングル2枚は初めて自分で購入したレコードとしてラックの目立つところに据えなければいけませんね。
ラジオ番組で公募された邦題
アルバート・ハモンドは、元々はイギリスで主にソング・ライターとして活躍していたミュージシャンです。1944年にロンドンで生まれ、ジブラルタルで育ち、1960年からはイギリスで音楽活動をスタートしました。賞も受けるなどキャリアを重ねた後、アメリカに渡ってCBSのオーディションを受けてレコード契約を締結。そして、『It Never Rains in Southern California』のヒットでアメリカや日本でも名前が知られるようになりました。
この曲の爽快でありながらもノスタルジックなメロディーには日本人も好む趣が紡がれていて、オリコン洋楽シングル・チャート1973年2月第3週付より6週連続1位を記録し、20万枚を売り上げました。因みに日本盤シングルのライナーによると、『カリフォルニアの青い空』という邦題はプロの翻訳者によるものではなく、ラジオ関東(JORF)の『ワイド電話リクエスト』で募集されて決定したものだそうです。
ソング・ライターとして多くの楽曲を提供
アルバート・ハモンドはこの曲のヒットでシンガーとしても知られるようになりましたが、他のミュージシャンに曲を提供するソング・ライターとしての仕事の方が多いようです。もっとも有名なのは『マネキン』という映画のエンディングで使われていた『Nothing’s Gonna Stop Us Now』というスターシップ の楽曲(1987年)でしょう。
また、1977年にレオ・セイヤーに提供した『When I Need You』もかなり売れていて、セリーヌ・ディオンもカヴァーをリリースしています。さらに、アレサ・フランクリンやティナ・ターナーのアルバムでもこの人の名前がクレジットされていて、どちらかというと「ソング・ライターやプロデューサーの仕事の合間に自分でも歌っている」というスタイルかもしれません。
▼It Never Rains in Southern California
https://www.youtube.com/watch?v=LcmU3ngK5D8
サポーター
- 紙媒体・Webサイトの編集者・ライター。ひたすらロックとヨーロッパサッカーを趣味として湘南で暮らす。じじいバンドでは、ドラムを担当。
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