自分らしく

オレはあんたにクラクラ、ミス・リジ―! 〜ひとりの少女のエピソード〜

ビートルズの『Across the Universe』には、よく知られる『Let It Be』への収録分とは別に「バードヴァージョン」と呼ばれる別テイクがある。通常版での大仰なコーラスやストリングスはなく、代わりに鳥の鳴き声と、ふたりの少女とジョン、ポールの素朴なコーラスが入った愛らしいものだ。コーラスはポールのアイデアで、彼自身がスタジオ外でビートルズの待ち受けをしていた熱狂的な少女ファンを急遽、呼び込んで録音された。

少女のひとりは当時、まだ16才のブラジル人、‟リジ―‟ ブラーヴォ。
「ポールが外に出てきてね、誰か高音で歌えないかな? って」
「彼らと二時間も一緒にいれたの。お茶を飲んで、その後で歌うことになった、ジョンとポールと一緒に。マイクはふたつ、ひとつのマイクにジョンと私。彼はこのマイクで歌うんだ、って。私が近寄ると、また言うのよ、もっと近く、近く! って二度も!」
「ジョンの顔がもう目の前。体はマヒ、心臓はドキドキ、その音がマイクに入らないかって…(笑)」

リジーは世界中の多くの同年代の少女と同じく、ビートルズがブームを巻き起こすと一気にその波にのみ込まれた。ジョンが『Dizzy Miss. Lizzy』を歌うと、自らをリジーと名乗り、以後、彼女の生涯の名となった。

ビートルズがライブからの撤退を決め、ブラジル公演が見果てぬ夢となると、遂にリジ―は矢も楯もたまらずロンドンにやってきたのだった。そして毎日のようにアビーロートでビートルズを待ち構えた。短期だったはずの滞在はどんどん長期化し、生きるために彼女は三流ホテルのメイドになった。故国では自分でベッドメイキングさえしたことのないお嬢さんだったのに。だが、彼女たちの参加した『Across the Universe』は発表されることもなく、そして、ビートルたちも、もはや以前のように頻繁にスタジオに姿を現すこともなくなっていった。彼らのなかで何かが変わりつつあったのだ。そしてリジーも二年間のロンドンでのモラトリアムを終え、自分自身の人生に戻っていった。

帰国後の1969年の暮れ、遂にあの曲が発売された、目立たずひっそりとだったが。リジーはその後もブラジルでのビートルズファンクラブの重要メンバーとして、2021年の死去まで積極的に活動し続けた。

ここまでが、ビートルズファンに伝説的に語られる最も幸運な少女ファンの物語だ。でもこれが終わりではない。リジーはその後、ブラジルでMPBと呼ばれる1970-80年代の最も豊かだったブラジル音楽シーンに、写真家として、時にバックコーラスのメンバーとして深く関わり続けていたのだ。そしてブラジルMPBは一言で言えばボサノヴァとビートルズに深く影響を受けて、それを発展させた音楽と言っていい。リジーはビートルズが意識せずに世界中に撒き散らした音楽の種が、‟紙コップの中の終わりない雨のように溢れだし、宇宙を超えて“育ってゆくのを助け、見守り続けていたのだ。

▼Dizzy Miss Lizzy/ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=psJ1cHm_su4

▼Across the Univeers(バードヴァージョン)/ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=iotagMCkJRE

▼Golden Slumbers-Carry that weight‐The end/エリス・レジーナ&ミルトン・ナシメント
https://www.youtube.com/watch?v=sAePVJVg0mU

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坂下健司
坂下健司
いよいよ還暦、そして定年。「この機会に生き方をガラッと変えられないか?」などとずっと考えています。ごく「フツー」の冴えないサラリーマン生活だったわりには、なぜかちょっとした冒険にもいろいろとした巡り合えたし、ここまで生きてこられた恩を自分以外に返さなきゃなぁ、と思う今日このころ。

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