自分らしく
カフェでは時々
カフェでは時々
自分の世界に入ろうと
コーヒーカップを持ったとたん
きくつもりもないのに
他人の生活のシーンが
耳に入ってくる
その人が生まれてから
ここにくるまでの時間と
席を去ったあとにつづく人生との
その合間
コーヒーの香りを共有しただけで
私がすこし
近づいてしまったようで
温かいような重いような
きっと明日には
すっかり忘れてしまうのだけど
何かの偶然で人とすれ違うとき、何も心動かず気がつきもしないこともあるし、このカフェのように一方的に少しだけ近づいてしまうこともあります。そして、どんなに短くても、生涯忘れられない出会いになることもあります。
まだ小さかった子どもを家族に託し、私は東北新幹線に乗っていました。仕事に復帰して初めての宿泊仕事。子どもを置いて来たことへのなんとなくの後ろめたさや、準備が十分とは思えないプレゼンへの不安があり、資料を確認しながらきっと落ち着かない様子だったのでしょう。となりの初老の紳士が声をかけてくださいました。どこに行くのか、とか、何しに行くのか、というような話だったと思います。私の話を聞き、「若いときにはどんどん挑戦した方がいい」と言ってくださいました。
見ず知らずの方に励まされて不思議な気分でしたが、なんだか自信がわいてきました。名刺には弁護士の肩書きに加え、自筆で「弥生美術館・竹久夢二美術館理事長」とありました。私の住まいからほど近い小さな美術館。竹久夢二が好きで、いつかは訪れたいと思っていた場所でした。連絡してから来れば無料で入れるからね、とも。
そんな出会いからどれくらい経ったか、次の子どもの育児休暇があけて、保育園父母会役員になった私は、会合帰りに他園の役員お父さんと名刺を交換しました。弁護士さんのそのお名前に、何か懐かしい感じが…。家に帰ってあの名刺を探し出し照合すると、同じ苗字でお名前の一文字が一緒。親子を確信し、年賀状にお父様との出会いがどんなに私を励ましてくださったかを綴りました。
いつか美術館で再会を果たしお礼を申し上げたいと思っていましたが伸ばし伸ばしにしていたら、ある日、新聞の訃報欄にお名前を見つけてしまい、私は大変なショックを受けました。
その後は、何回も弥生美術館を訪れています。現理事長である娘さんの手によって、昔の叙情だけでなく常に新しい企画が繰り広げられています。加えて、常設展示から、前理事長であった鹿野琢見さんの並々ならぬ情熱によって開館した美術館の歴史をたどり、いつも心と目頭を熱くし、勇気をいただいています。
サポーター
- 詩人。
本業は体育大学・ダンス学科教員。大学生たちがダンスを好きになり、さらに自信をもって子どもたちにダンスを教えられる指導者として育つことを願い、教育と研究に取り組む。
プロフィール