乳がん生活:患者力:患者力アップのヒント
なぜ再建したのか?
意外にあった、服の制約
がんがリンパに微少に飛んでいたことで、リンパ郭清を行いました。21個ぐらい取ったそうです。そのため脇の下が凹んで、ノースリーブが着られなくなりました。
やっとの思いで「全摘します、だけど再建します!」と言ったのに、リンパに飛んでいたから「あ、あなたは2年間できないからね」と主治医に言われ、2年間の間、胸はフラットでした。
これで大好きだったUネックのトップスが着られなくなってしまいました。お辞儀をしたり、かがんだりすると胸がないのが見えてしまうからです。不自由はブラジャーなどの下着だけでなく、服にまで及ぶことに事の重大さを感じました。
面倒だったから再建??
実際に再建するまで時間はたっぷりあったので、2年間かけていろんな再建勉強会に行きました。勉強会で再建した方にその理由をきいてみると、「面倒だったから」と、とても意外な答えが返ってきました。そのときは意外だったけれど、再建してみると私もそう答える一人になっていました。
当初は、「気にせず温泉に入りたいから」とか、「失ったものを取り戻したいから」といった理由だろうと思っていました。ところが、毎日、下着に詰め物をするということは、毎日、毎日、がんで失ったものを思い出さされるということでもあるし、肩もこります。着る服の制約もあります。温泉に入るのも気を使います。ジムで着替えるときにも人からの角度など、気を使います。毎日いちいち面倒くさいのです。
やっぱり再建してよかった
確かに再建の方法によっては、私のように3回以上入院手術ということも伴いますし、カラダが完璧に元に戻るわけでもありません。温泉にしても、「そうはいっても年に何回入るのか?」という意見もあるでしょう。私も胸フラット時代には勇気をもって、アカスリや温泉にも行ってみました。タオルでさっと隠していれば、じろじろ見られるものではないし、なんとかなるもの。ただ、濡れたタオルをずっとかけているのも冷たかったのは確かです。
なんとかなるものの実際に再建してみると、私の場合は以前感じていた小さな不都合の積み重ねがなくなり、毎日が本当に楽になったとしみじみ感じます。おまけに脇の下も再建の脂肪調整で先生に埋めてもらって(人間のカラダって本当に不思議)、ノースリーブが着られるようにもなったのは大きな収穫でした。そんなわけで、形成外科の先生にはダメ元でもいろいろ要望をお伝えするといいみたいです。
サポーター
- マーケティングコンサル会社代表。
福岡県出身。高校時代に海外留学。大学卒業後、証券会社の海外勤務、内外化粧品会社マネジメント、事業開発、マーケティング、ラグジュアリーブランド、海外化粧品ブランド日本代表などを経て、現在に至る。
44歳のときに左乳がん発症。部分摘出、全摘手術の2度にわたる手術を経て、2年後に自家組織による再建に着手。2019年卒業。
趣味は、旅行、温泉、茶道、書道、着物、アルゼンチンタンゴ。
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