自分らしく

永遠の愛のソネット~あなたを愛してしまう

”敬愛する詩人よ、今、あなたにここにいて欲しい、そして、通り過ぎて行く少女の姿を眺め、ともに本物のビールを飲もう”

これは1991年のブラジルのビールのCMだ。画面からそうよびかけるハンサムで知的だが年齢なりに貫禄がついた初老の男はアントニオ・カルロス=”トム”・ジョビン。言わずと知れたブラジル音楽、最大の偉人、ボサノヴァの名曲、イパネマの娘の作曲者だ。

そして、午後の黄金の日差しのなか、恐らくはリオのイパネマの海岸なのだろう、そこで海と戯れ、海岸を歩く、懐かしのハイレグ水着のいかにもブラジル人好みの若い美しい女性。

♪ごらん、なんて美しいんだ、なんて優雅。甘いスイングで海に向かい通り過ぎるあの娘♪(『イパネマの娘』)

ただここでトム・ジョビンが海岸に置かれたピアノに向かって歌うのは『イパネマの娘』でなく、『あなたを愛してしまう~Eu sei que vou te amor~』という曲で、イパネマほどの世界的ヒットではないにせよ、ボサノヴァファンにはよく知られた、熱烈な恋の歌である。

♪あなたを愛してしまう
私の命の限りに
あなたを愛してしまう
あなたとの別れの都度に
絶望に打ちのめされながら
それでもあなたを愛してしまう

そして私の詞の言葉のひとつひとつは
命の限りに
あなたを愛してしまうと言うためのものとなる♪

なぜ、この曲なのか? その謎はすぐ解ける。曲をバックに、グランドピアノに映る悠然と微笑む長髪の老人、それは、トムが呼びかけたブラジル音楽最大の詩人、そしてトムと共に多くのボサノヴァの名曲を作詞で作ったヴィニシウス・ジ・モライスだ。実は彼はこの時点で10年近く昔にこの世を去っている。そして彼の『忠誠のソネット~Sonete de Fidelidade』の朗読が始まる。歌ってはいるわけでないのに、歌に負けないほど音楽的で、言葉の意味を解さなくても伝わる静かな説得力を感じてほしい。ヴィニシウスはしばしばこの詩の朗読を、『あなたを愛してしまう』の間奏に挟み込んで演じていた。

♪何よりも、愛する人にわが心を
大いなる熱意でもって、常に、そしてすべてをもって
どんな魅惑に相対しても
私はあなたにさらに魅了される
あなたの悲しみにも、あなたの満足にも
生きる者の死、苦悩を誰が知っていようか
孤独を、愛する者の最後を誰が知っているか
だから私は自分に言い聞かせる
愛は炎であり、不滅ではありえない
しかし、それが続く間は永遠なのだ♪

忠誠とはもちろん、”あなたへの愛”に対してのもの。この曲が誕生するもう何十年も前に既に書かれていたこの詩が、この曲の主題のヴァリエーションなのは間違いない。最後に詩人とトムはこの曲の最後のフレーズを二人で唱和し、静かにビールを乾杯する。

♪わたしは苦しむだろう
この永遠の生の不幸に
あなたの傍らで生きることを望みながら
その命の限りに♪

30年以上も前のCMだ。今となってはいい歳こいたジジイふたりが若い水着の女性をニタニタと助平顔で眺めるかのような設定に眉を顰める方もいるだろう。だがただの助平ではない。そこでは、自分たちが既に失った若さ、この世を去ってしまったかけがえのない友、残酷な時が容赦なく奪い去ってしまったものへの哀切の思いと、それを愛おしむ気も狂わんばかりの思慕で裏付けているのがこの曲の、この詩の、そしてそれを二分という限られた時間に凝縮したCMの深さだ。

♪愛は炎であり、不滅ではありえない
しかし、それが続く間は永遠なのだ♪

それは時代の制約を外し、時を超える。トム・ジョビンもこのCMの3年後の94年、67歳で亡くなった。

▼Tom Jobim & Vinicius de Moraes

サポーター

坂下健司
坂下健司
いよいよ還暦、そして定年。「この機会に生き方をガラッと変えられないか?」などとずっと考えています。ごく「フツー」の冴えないサラリーマン生活だったわりには、なぜかちょっとした冒険にもいろいろとした巡り合えたし、ここまで生きてこられた恩を自分以外に返さなきゃなぁ、と思う今日このころ。

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