絵の本質は「上手下手」ではない

絵を描くという行為は、人間の生まれつきの本能です。幼児に真っ白な紙とクレヨンを与えると、どの子も必ずさまざまな生き生きとした色彩的表現をします。知能が発達し、情報量が増え、親や先生の指導が加わると、物の形にとらわれるようになり、次第に「上手く描こう」という意識が支配していきます。形や色が見たとおりにそっくりに描ける…これが「絵が上手いということ」という考え方は、大人になってもほとんどの人に染みついてしまっています。

ピカソは「子どもの絵ほど美しい絵はない、私はそれを目標に描き続ける」と言っていました。子どもは皆、純心です。心のなかは新しい世界への興味に満ちあふれ、透明で自由です。「上手く描きたい」「褒められたい」というとらわれがありません。ピカソのみならず一流の画家にとって人間の心の美しさの原点がここにあり、子どもの絵こそが最高の手本なのです。では、大人の絵は、画家の絵は、どうでしょうか。

「美」について考える

私は絵を扱う(売る)ということを業としています。画家の仕事を人々に紹介し、絵の素晴らしさを伝える立場でいつも大きな壁に直面しています。それは、お客様のほとんどが絵を「部屋の装飾品」としてしか捉えていないということです。

「私はこの絵に深く感動しました。けれども、私の家には飾るところもない」「応接間の雰囲気に合わない」という言葉のなんと多いことか…。私は家具屋ではありません。絵はインテリアではありません。素直に感動したお客様の審美眼は、どこへいってしまったのでしょうか。

音楽を聴いたり絵を観たりして、心が揺り動かされる「美しさ」。実は「美」とはそれを直面した人間だけが感じる相対的なものであり、絶対的な「美」など存在しません。どこにでも転がっているものに「美」を感じ、それを無二の表現に移しかえる芸術家は実に尊いものです。そして、その表現に感銘を受けるお客様の眼や心も尊いのです。深い教養や人生観、哲学などに裏づけられた、いわば「品性」こそが本物の「美」を生み、見出す力なのだと思います。

写真のように精巧な絵や超テクを駆使した芸術作品の「凄さ」よりも、永年の間培われた精神性に着目し、心から「美しい」と感じること。ある脳科学者は「ここに美の座標軸が生まれ、これをもっているといかなる艱難辛苦にも耐え抜くことができる」と言っています。

日本人は器用で繊細な表現が得意な人が多く、上手い人はたくさんいます。「上手い」「凄い」よりも自分のハートに響く「美しい」絵に出会うことこそが絵を楽しむということだと思います。