インタビュー

医療従事者に聞く

人を傷つける、差別を助長する… そんな言葉や振る舞いのない世界をめざしたい

髙橋聡美教授 対談写真

髙橋聡美 氏

1968年鹿児島生まれ。
自衛隊中央病院高等看護学院卒後、精神科で8年間看護師として勤務。
スウェーデンでメンタルヘルス政策に関する調査を2年行った後、2005年から宮城県で『遺族のわかちあいの会』『2010年から遺児のプログラム』を主宰する。
現在は遺児のプログラムを国内外に広める活動および自殺予防教育の授業を全国の小中学校高校で行っている。
前防衛医科大学校 精神看護学教授、中央大学人文科学研究所 客員研究員、NPO法人子どもグリーフサポートステーション アドバイザー。

看護学校に入学してから「精神看護」という分野に関心をもつ

〈ら・し・く〉
ご専門は「精神看護学」と聞きました。どんな学問なのでしょうか?
髙橋
「精神看護学」とは、看護学のなかでも精神(メンタルヘルス)を専門とする領域です。30年ほど前は精神障害、疾患(統合失調症や躁鬱など)に対する看護が中心でしたが、現在ではより予防に重心が移っています。たとえば、家族を亡くした遺族(子どもを含む)へのケアや〈がん〉告知の際の心のサポート、乳房摘出後の喪失感のケア、投薬で抑うつ症状が副作用として出た場合の看護などがあります。「鬱状態になる前にサポートができたら」ということですね。

〈ら・し・く〉
「精神看護学」へと具体的に目標をもたれた時期はいつころでしょうか? 将来の夢や目標としてどのようなキャリアプランを描かれていたのか、また、専門分野を定めた背景も併せてお話しいただけますか。
髙橋
子どものころ父親がアルコール依存症で、母親は家庭内暴力を受けていました。自分は学校の先生になりたかったのですが、母親から「女に学問は要らない」と言われ、看護学校に入れられたような感じです。

入学後に、「精神看護」という分野に興味をもちました。子どもへのケアや予防への関心も、このころからです。卒業後精神病棟で8年ほど看護師として勤務することになりました。その当時は宇都宮病院事件(※)などもあって、精神科の患者さんがかなり差別を受ける時代でしたが、私自身は国立病院で働いておりましたので、そうした経験はありませんでした。ただ、管理職となったころ、目の前にいる50人の患者さんしか救えないことに疑問を感じ始めていました。

そこで、28歳で大学に入学しました。「よりよい世の中にするために」という志をもち、私自身が学生に教えたり、本を書くことで広く伝えたいと強く思っていたんです。その後、看護学校で教えながら東北大学で博士号も取得しました。大学に在籍していた5年の間には、娘2人の子育ても始まりました。

※宇都宮病院事件(編集部注)
1983年栃木県宇都宮病院で、看護職員らの暴行によって入院患者2名が死亡した事件。日本の人権軽視の実状が世界的に知れ渡り、1987年(昭和62年)には国会で「精神保健法」が成立するきっかけとなる。

看護は、知識や技術以前に人として互いを尊重し合うことなくして成り立たない

〈ら・し・く〉
実際、行われた研究についてお伺いできますでしょうか? どのようなことを専門に教え、学生たちにどういうことを学んでほしいという思いがありましたか?
髙橋
まずは、私たち医療従事者は心を病んだ人たちに対して「安心安全な人間であるべき」だということから伝えています。特別な知識や技術以前に、人として互いを尊重し合うこと、それなくして看護は成り立ちません。

患者さんたちが抱えている「生きづらさ」や「喪失体験」、それごとリスペクトすること、その人の生きてきた人生や魂の痛みをそのまま受け止めることを大切にと伝えています。

〈ら・し・く〉
大学で教鞭をとられる以外、どのような活動をされましたか? そこに至るきっかけや経緯もお願いします。
髙橋
2002年から2005年まで夫の転勤でスウェーデンに滞在していましたが、帰国後、日本で自殺者が3万人を超えるというニュースにふれ、生活の基盤を置いた仙台でグリーフケアの活動を始めました。「遺族のわかち合いの会」では自死遺族の方々と定期的にお話の会を設けたり、2010年からは遺児のケアを始めています。当初は12人だったのが、後には50人の子どもたちが集まるようになりました。ここでは、ピアサポート(※)として場の提供とファシリテートを行いました。学校にチラシを置いてもらったり、地域にも協力をもらいました。遺児のプログラムでは、保護者の会も同時に開催しています。

※ピアサポート(編集部注)
ピア(peer)は仲間、サポート(support)は支援。同じ症状や悩みをもち、同じような立場にある仲間が体験を語り合い、回復を目指す取り組みのこと。アルコールや薬物中毒の自助グループ、〈がん〉などの患者やその家族、教育現場など、さまざまな分野に広がっている。

日本では、「死」について語る文化の素地がない

〈ら・し・く〉
2011年の東日本大震災のとき、心のケアやグリーフサポートを行われていたと伺いました。チャレンジ内容やエピソードなどを併せて、どんな活動をされていたか詳しくお聞かせください。
髙橋
2010年12月に遺児のケアを始め、数か月後に東日本大震災が起きました。仙台の山側に住んでいた自分や家族の被害はありませんでしたが、教えていた学生や地域の人たちへの被害は大きく、できることから始めました。忙しかった行政に指示されるより先に、行政委託の心のケアの電話窓口として自宅で相談を受けました。自殺される方も出てきて、アウトリーチ活動も地域で同時に行っていました。

〈ら・し・く〉
それまでのグリーフサポートの活動と違っていた点はありましたか?
髙橋
従来の活動と違っていたのは、亡くなっただけでなく家族が「行方不明」という体験をしている家族・遺族の方が多くいらしたこと。また、病気は個人個人の体験にもとづくのですが、震災では全員が同じような体験やトラウマに悩みます。また、ボランティアも被災しているので、これが結構たいへんでした。

〈ら・し・く〉
それはたいへんでしたね。活動を続けることができたのは、なぜでしょうか?
髙橋
実は震災で私もバーンアウト(燃え尽き症候群)したんです。「やっても、やっても、追いつかない」「自分に力がない」「困っている人を救えていない」という気持ちが湧いてきて…。当時の支援者は誰も同じようにこんな無力感があったと思います。悔しい思いやみじめな思いをたくさん経験して、夜寝ているときに歯ぎしりをしていたらしく、歯が欠けたりしたこともありました。

「難しいなあ」と感じていることは、日本では「死」について語る文化の素地がないこと。これは、もどかしく思います。「死」について話をすること自体、「縁起でもない」と言われてしまう。親しいお坊さんとよく話をしましたが、看取りの段階から患者の傍らにいて、家族に寄り添うことが大事だなと。亡くなった後、突然現れても難しい。また、子どもが「死」について語ることをよしとしない雰囲気もあります。平成28年から学習指導要領のプログラムにも入ってから変わりつつありますが、まだまだですね。

〈ら・し・く〉
バーンアウトされたのを、どのようにして元に戻すことができたのでしょうか?
髙橋
仲間に救われたんです。先ほどのお坊さんと話すことで、そのお坊さんも「僕も何もできないよ。これまでは葬式坊主で、こうした活動もしていなかったし」と。2005年にグリーフケアの活動をしていましたが、自分のやっていたことは小手先のことだったと思い知り、打ちのめされたんです。でも、お坊さんや仲間と話して無力感を共有できて、「救われた」と感じました。

自分で意識してセルフケアすることが大事

〈ら・し・く〉
今回の新型コロナウイルスの影響で人類は経験したことのないような局面に遭遇していて、健康な方でも心を病んでしまうケースが多いはずです。本サイト〈ら・し・く〉は〈がん〉患者や家族の方もご覧になっていますが、身体が弱っているとき治療や検査を延期せざるを得ないという状況は皆さんにとって計り知れないほどの不安になっていると思います。特に有名人の方が闘病中にコロナに罹って亡くなるといったニュースは、〈がん〉体験者の方に大きな影響を与えているでしょう。こうした状況をどのように捉えていらっしゃいますか?
髙橋
今、新型コロナウイルス関連の情報があふれていますよね。私たちはテレビやインターネットの情報の波に飲まれているんです。いわゆる「コロナ疲れ」。マスクせずに外出している人や、営業しているお店を批判する人も出てきています。批判はするほうもされるほうも「抑うつ状態」を引き起こします。

「コロナに生活が支配されている」状況で、「心までコロナに支配されない」ようにしないとなりません。いつもと違うイライラした気分になったり、他人のことを批判したくなったりしている自分を自覚することは大切だと思います。

〈ら・し・く〉
そんなときはどうしたらいいでしょうか? 「心のケア」として自分でできるストレスマネジメント、また心を穏やかに暮らすコツやヒントがあったら教えてください。
髙橋
テレビがつけっぱなしになっていたら、いったん切ってみるとかパソコンやスマホから離れてみるなど、コロナのことを考えない時間をつくることが大事です。

マスクのこと、PCR検査のこと、いろいろな主張をする人たちがいますが、「そういう主張をしたい人なんだ」と客観的に捉えましょう。好きなことを探してみるとかね。私の場合は毎日、午前中の30分、土いじりや花の世話をしています。自分で意識してセルフケアすることが大事ですね。

「今を大切に生きる」ことを丁寧にしていきたい

〈ら・し・く〉
最近「レジリエンス」という言葉をよく聞きますが、これはどう捉えたらよいでしょうか? コロナ禍が収束した後に備えて「レジリエンス」をどう保つかについてもお聞かせください。
髙橋
レジリエンスは、「もともともっている本人の強み」と「環境」の2つの要素があります。一人ひとり違うんです。本人が前向きかどうか。前向きであっても、働く環境や周りの環境によってそれを下げられてしまうと、レジリエンス自体も下がってしまいます。逆に前向きでない人であっても、周りが上げてくれる場合もあります。

コロナから立ち直るための力、レジリエンスを考えるとき、たとえば「あなたの大事な人が亡くなってしまったら、どうなるか想像して」みましょうか。そのとき、誰があなたを支えてくれるか? 何が支えとなるのか? 家族、友人、地域、趣味、所属している団体、経済力、自分の性格(楽天的、勤勉などの強み)など、いろいろなものが困難な状況から生活を再構築するために支えてくれます。これが「レジリエンス」です。

〈ら・し・く〉
コロナの後、経済状況、仕事の状況、また人々の価値観や関心がガラッと変わっていくと感じています。高橋先生はどのような変化があるとお考えでしょうか? また、その変化に対して何か準備しておいた方がいいことがありましたら、併せて教えてください。
髙橋
一人ひとりが誰かの回復する力となって自分が関わるすべての人に良くも悪くも影響をしていると考えてみましょう。コロナ感染はいずれ収束します。でも、人間関係はどうでしょうか。批判し合って人間関係が崩れたり壊れたりすることについて、考えておく必要があります。できてしまった溝を埋める努力です。どちらが悪いかのジャッジや、個人の感情を監視し合うような風潮も収束させたいですね。

〈ら・し・く〉
最後に、先生のこれからの目標というか、今後の生き方(公私共に)はどのようなものか、お聞かせいただけますか? また、皆さんへのメッセージもいただけますか。
髙橋
毒を吐いたり、人を傷つけたり、差別が生まれたり、そんな言葉や振る舞いがない世界をコツコツとつくっていきたいと思います。コロナウイルス禍の今、「このまま大切な人に会えなくなるかも」と思うからこそ、「今を大切に生きる」ことを丁寧にしていきたいと思います。特別なことでなく、会いたい人に会って、美味しいものを食べて、という生活が贅沢なことだと感じています。


新型コロナウイルス感染拡大で気持ちも生活も制限されている今、精神看護学ご専門の高橋聡美先生にお話を伺いました。「レジリエンスは一人ひとり違う」「コロナは収束しても人間関係の修復は難しい」「コロナの後、何が自分の支えになるのか今から考えておく」など、示唆の多いお話を伺うことができました。ありがとうございました。
(電話取材:2020年5月11日)