乳がん生活:患者力:患者力アップのヒント
夢中になることを見つけて体力回復 ~和太鼓との出会い~
つらかったのは退院してからの2年間
私は、「全縦隔胚細胞腫瘍」という〈希少がん〉に罹患しました。病名がはっきりするまで紆余曲折があり、セカンド、サードオピニオンでやっと判明。告知から急転直下で治療に突入しました。そして、抗がん剤治療と外科手術で4か月余の入退院を経て治療は終了しました(その話は、またいつかお話させていただきたいと思います)。ジェットコースターのような日々も乗り越えた(つもり)の私でしたが、退院してからの2年間が一番つらかったように思えます。
自宅に戻って感じた孤独と不安
退院できてホッとしてまわりを見まわすと、急に、ひとりぼっちな気分に襲われて…。孤独感と不安感が沸き上がってきました。それまで、いかに医師や看護師、治療を通して知り合った患者さんなどに囲まれ、支えられていたのかを思い知りました。
手術前日でもなんとか眠れた私なのに、眠れぬ夜が続くようになりました。主治医に相談して「お守り代わりに持っていたら?」と処方された睡眠薬を後生大事に持っていましたね。結局使わずじまいでしたが、お守りとしての効果は絶大でした。今考えると、なかなか粋な計らいをしてくださる主治医だと思います。
少し体調が悪くなると、ものすごく不安になり、居ても立ってもいられなくなるのです。たとえば、ちょっと歯が痛くなると、「すわっ再発か!」とばかり歯医者さんに急行。これは、「2年間で再発率は50%」と宣告されていたことも大きく影響していたと思います。診察時に、それまでの治療経緯を一生懸命、全部説明したら、「〈がん〉とはまったく関係なかった」なんてことが何度もありました。そのたびに「よかった~」とこみあげる安心感と脱力、そして苦笑い。
和太鼓との出会い
そんな日々を送るなかで、新聞のイベント欄で「和太鼓を叩いてみませんか?」の参加募集を発見。退院後、体力がかなり落ちていると感じていた私は、「これだ!」とばかりに参加しました。中胴という大きな和太鼓を前に、バチを振り下ろしたら「バーン」という音、衝撃、それ以上に感じた振動…すごかった。頭のねじがバーンと飛び散ったような衝撃でした。
その後、イベント主催者である女性ばかり十数名の「響太鼓」というアマチュアの太鼓グループに入団。しかし、和太鼓という打楽器はシンプルなだけに難しい。ただ撥(バチ)で叩いても、まるでいい音が出ないのです。「バーン!」力を抜いて芯を捉えたときだけに響く音。こうかな? ああかな? と一心不乱に叩く。気づけば時を忘れ、頭と心のすべてが太鼓を叩くことに集中している自分がいるのです。
そしてだんだんと、本当に少しずつ、それまでいつも頭の片隅にあった〈がん〉が薄れていくのを感じ、「〈がん〉だけを生きているわけじゃない」と思えるようになっていきました。その後、夏祭り、神社奉納、定期公演など出番が増えていきました。和太鼓は音楽でありスポーツでもあると実感。次第に体力も気力も戻ってきました。
「夢中」を見つけることのススメ
退院後に、もし私のように孤独と不安を抱えて同じような思いを感じていたなら、まわりを見渡してみてください。きっと自分に合った出会いがあるはずです。今までやっていたことでもいい。何かに夢中になることって、思わぬ贈りもの「ギフト」に出会えるチャンスだと思います。
サポーター
- ISAMISAデザインスタジオ代表。
大学卒業後、大手アパレルメーカーで婦人服の企画・デザインに従事。
41歳のとき、心臓の上に希少がんのひとつ「全縦隔胚細胞腫瘍」が見つかり、化学療法・外科手術を行う。
退院後、自らの体験とスキルを活かし、抗がん剤治療の副作用で脱毛した患者さん向けに取外し可能な医療用髪付き帽子「wishing cap」を考案、特許取得。
2005年より、患者さんにインターネットでの直接販売を開始。今年で16年目を迎える。
生来の楽観主義者で体力回復のために出会った和太鼓にはまり、現在はJAZZを唄うことに夢中。美味しいお酒にも目がない。
プロフィール