家族の時間

亡き父は60代の半ばに悪性リンパ腫を患い、1年ほど入院生活を送っていた。とても生真面目でまた少し怖がりだったので、お医者様や看護師さんの言いつけを完璧に守り静かに療養に努めていた。

しかし、唯一、食事については病院食に全く手をつけず、わがままを通した。母が日参し届ける手料理に飽き足らず、たまには近くの美味しいハンバーガー店のハンバーガー、カキフライ弁当などを私たち家族に注文する。それを美味しそうに食べていた父の顔が思い浮かぶ。あとになって考えてみると、消化器系の臓器は病が及んでいなかったせいか、かなり長く食については楽しめていたのだと思う。

私は仕事の前に病室に寄り、父のベッドのわきでパンを朝食にして仕事の話をポロポロとした。考えてみると、結婚した後、仕事が楽しくなって夫と海外に住み、アクティブに走り回っていた私は、ずっと父との時間をゆっくり大切にすることができずにいた。だから、この父との時間は特別で豊かな時間だった。

思いがけない感謝の想い

その父も、日を追ううちに誰の目にも弱ってきているのが明らかになっていた。私は毎日のように会いに行ったが、さすがに辛そうな父にわさわさとした仕事の話はしなくなった。3月も半ばを過ぎ、私は父自身に体調を尋ねることも避けるようになった。「病院の前の並木の桜のつぼみがついた」とか「少しずつ膨らんできている」「今年の開花は○○ころらしい」と、桜の話に逃げていたような気がする。

そして、ある日曜日の朝早く、父は桜の開花を待たずに天に昇っていった。病室で静かに眠る父と対面し、彼の幸せな人生を感謝し、父親として私たち家族を深く愛してくれたことを心から感謝していた。そのとき、一人の若い看護師さんが泣きながら病室に入ってきた。彼女がいうには、恋愛関係で悩んでいて、なんと父にそれを相談していたとのこと。「一昨日も○○さんに翌日のデートの相談をし、アドバイスをいただいていたから報告したかったのに」と。まず、重篤な状態にあり、堅物の父が恋愛の相談にのっていたとは、と非常に驚いた。私や妹の恋愛話には苦虫をつぶしたような顔しかしてくれなかった父にそんな面があったとは。

また、次に湧き上がってきたのが、この看護師さんへの感謝だった。排泄もままならないような状態で天井だけを見て過ごしていた父、彼は看護される受け身な存在でしかなかったはず。その父に彼女が相談をもちかけてくれたことを父はどんなに嬉しかっただろうと感謝の気持ちでいっぱいになった。

父に病めるときにも、誰かのためになれる機会を提供してくれた優しい看護師さんのことをよく思い出す。