自分らしく

花はどこから来たの?  Where have all the flowers come from?

ウクライナの民謡をもとにつくられた静かなこの反戦歌

反戦歌、『花はどこいったの?』(Where have all the flowers gone?)が「ウクライナの民謡をもとにつくられた」との週刊誌の記事を目にして驚いた。世界でもっとも有名な、だが静かなこの反戦歌が、今、理不尽で悲惨、無慈悲な戦いが行われているその国から来ていたという、あまりにも皮肉に絶妙過ぎる組み合わせは、果たして事実なのか?

知る人も多いだろうが、この曲はアメリカのフォークシンガーであるピート・シーガーにより作られたもの。1960年代のベトナム反戦運動を通じ、世界中に知られるようになり、平易だが象徴的な歌詞が印象的だ。

ずっと昔、花はみなどこにいったの?
少女たちがみな摘んでいったよ
その少女はどこにいった?
結婚して夫のもとに行ったよ
その夫たちは皆どこに行った?
兵隊に行ってしまったよ
その兵隊は皆どこに行った?
お墓にいってしまったよ
そのお墓はどうなった?
ずっと昔に花に蓋われてしまったよ
その花はどこに行ったの?
少女たちが摘んでいったよ。

花や少女といった日常の平和を象徴するイメージが兵隊、お墓といった日常を破る戦争のイメージに繋がり、再び穏やかな自然と日常の平和のイメージに回帰されて曲は終わるものの繰り返しの多いシンプルなメロディーは、この循環がまたも戦争に続くことを暗示する。そして、この循環のなかに「ああ、人はいつになったら学ぶのか?」というフレーズが幾度も繰り返され、声高ではないものの反戦を込めた詠嘆が噛み締めるように歌われる曲となっている。

実はピート自身が、曲のメロディーをアイルランドの民謡から、そして詞はソ連時代のロシア人作家、ショーロホフの大河小説『静かなドン』に引用されているコサックの子守唄の歌詞に触発されて書いたものだと明かしている。

カバーのなかでも出色なのはアイルランド人歌手のデュオ

この曲は数多くのミュージシャンによってカバーされているが、なかでも出色なのはアイルランド人のフォーク歌手のドローレス・ケーンとトミー・サンズのデュオだ。この曲のもつ素朴な親しみやすさと哀感を、メロディのルーツとも言えるアイリッシュケルト的なアレンジがさらに引き立てている。

▼Where have all the flowers gone?
https://www.youtube.com/watch?v=w0fe7Ihlpfk

詞の元ネタとなったのは、コサックの子守唄『Kaloda Duda』(コローダ・デュダー)らしい。本来、泥臭くシンプルなはずの民謡をナチスからアメリカに逃れた過去をもつユダヤ系オーストリア人、セオドア・バイケルがアレンジして歌っているが、それでも原曲の雰囲気は伝わると思う。歌詞では、特に後半部分がピート・シーガーの歌詞にもほぼそのまま反映されていることがわかる。ピートは葦をより親しみやすい花に変えてはいるが。

▼Kaloda Duda
https://www.youtube.com/watch?v=GZ601dzqJsc

坊やのお守りはどこに行った?
金の飾りの鞍置いた、お馬の番をしに行きました
そのお馬はどこに行った?
ご門のお外に行きました。
その門はどこにある?
水が流してゆきました。
その水はどこに行った?
鵞鳥がそれを飲み干しましたた
その鵞鳥はどこに行った?
葦の茂みに逃げてゆきました。
その葦はどこにある?
娘たちがそれを全部集めました
その娘たちはどうした?
コサックの若者に嫁に行きました。
そのコサック兵はどこに行った?
戦さへ出かけてゆきました。

煌びやかな鞍をつけた馬、水が流す門、鵞鳥、葦の茂み、どれもこれもコサックの故郷、今の南ロシアやウクライナで人々の生活には決して切り離すことのできない事物だ。そうした日常がそのまま戦さへと抗しようもなく繋がってしまう、そんなコサックと呼ばれる人々の幾世代も受け継がれ続けてきた長く哀しい宿命がこの子守唄で歌われている。

コサックとは、現在のウクライナと南ロシアの地で、もともとは農奴制や近隣の政治勢力からの圧迫から逃れるために、自ら強力な武力を組織し、それを盾に外部勢力に対し、独自の自治を打ち立てようとしてきた人々の集団のことだ。その歴史は15世紀ころに今のウクライナで始まり、15世紀以来、現代に至るまでこの地域の歴史に大きな影響を与えてきた。そして独立自由の気風の強く、マッチョなコサックの歴史的記憶とその文化は、今ではウクライナの国家アイデンティティの重要な一部と成っている。コサック民謡がウクライナ民謡とされる所以だ。

『Kaloda Duda』絶え間ない苦難のなかで歌い続けられてきた子守唄

だが、この曲、単純にウクライナ民謡と言い切ってしまえるものでもない。そもそもこの曲を引用した小説、『静かなドン』は、南ロシアのロストフ州のコサックの人々の運命を描いた大河小説で、もちろんロシア語で書かれているし、この民謡も引用したYou Tubeでの録音を含めロシア語で歌われている。つまり単純に考えれば、ロシアの地方民謡と言うべきものなのだ。

そして、かつては独立国家さえもったウクライナ領のコサックが既に滅亡してしまったのに対し、ロストフ州のコサックは今でも存在し続けている。彼らは紆余曲折はあれど、最終的には自らの高度の自治と引き換えにかつてのロシア帝国の軍事・警察組織の一部となる道を選び、ロシア帝国の領土拡大に大きく貢献してきた。そして、このロストフ州に隣接するのが今の戦争での激戦地、ウクライナのドンパス地方だ。

このようにコサックは「ロシアだ、いやウクライナだ」という単純な色分けを拒否する複雑怪奇な歴史をもっているが、この曲、『Kaloda Duda』は、絶え間ない叛乱と戦争の苦難のなかで、夫たちからは引き離され、子どもたちと生活を守り続けてきたコサックの女たち、軍人である夫たちとは別の視線をもつ人々によって歌い続けられてきた子守唄なのだ。そこには、語られぬ歴史の通奏低音として流れ続けていた、戦争のない世を願う切な祈りが聴きとれるだろうし、それこそがピート・シーガーのインスピレーションを通じて、私たちにもっとも強く訴えかけるものなのだ。そして、今、何よりも望まれる平和とは、この地の歴史の複雑さを受け容れながらも、この平和への祈りを最優先に置くことで実現されるもの以外にはありえないだろう。

サポーター

坂下健司
坂下健司
いよいよ還暦、そして定年。「この機会に生き方をガラッと変えられないか?」などとずっと考えています。ごく「フツー」の冴えないサラリーマン生活だったわりには、なぜかちょっとした冒険にもいろいろとした巡り合えたし、ここまで生きてこられた恩を自分以外に返さなきゃなぁ、と思う今日このころ。

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