乳がん生活:患者力:家族と友人
死別の悲しみと生きる
告知後たった1か月での別離
風邪からくる胃腸炎だと不調を口にしながらも、「もうすぐ人間ドックだから」と受診を先延ばしにする夫に、半ば強制的に検査を受けさせたところ、末期の膵臓癌であることがわかり、告知後1か月であっという間に夫は逝ってしまいました。
余命幾ばくもない病に侵されたという現実を受け入れる暇もないまま旅立つことになった夫の無念を思い、共に暮らしていながら早期に気づいてあげられなかった自分を責める日々。空腹を感じたり、呼吸をすることさえも罪悪に思え、ふと気づくと後を追うことを考えている毎日。それでも夫の看病のために休職していた勤務先に迷惑をかけられないことや、老親へこれ以上の心配をかけたくないと思ったこと、何かに没頭していないと正常な精神を保てそうもないとの思いから葬儀からほどなく職場復帰をしたのでした。
人との接触を避ける日々
身をもって経験でもしていない限り、最愛の人との死別を経験した人物が周囲にいてもどう声をかけたらよいか、ほとんどの人が迷うと思います。
事実、夫を見送った直後から「起きてしまったことは変わらない。泣いても帰ってはこないんだから」「ご主人も心配していると思うから、まだ若いのだし早く次の良い人を見つけなさい」「喪って、いつ明けるんですか?」などと言う人もいました。そんなときには「悪気はなく、どんな言葉を言うべきなのかを知らないだけだ」と思いつつも、傷つく自分が嫌で周囲との接触を極力しないような半引きこもり生活を送るようになりました。
悲しみとともに生きる
半引きこもり生活から数年後、長年の友人と久しぶりに会った夜、その友人からメールが届きました。帰宅後、私と会うことを知っていた彼女のご主人から「どうだった? 元気そうだった?」と聞かれたので、彼女は「ジャケットにブローチをつけていたから、もう大丈夫だと思うよ」と答えたとのことでした。
私自身は、ブローチをつけていたかどうかも記憶していないほど無意識の行動でした。しかし、なぜかこのメールを見たときに、「外から私を見た人が”大丈夫そう”と思ってくれたのなら、前を向いて生きていけるということかな」と思えたのです。
夫との死別から数年経っても、喪失感を克服したとは言えない状況でしたが、何気ない所作としてお気に入りのアイテムを傍に置くだけでも良い意味での鎧となり、自信をもつきっかけともなるのではないかと感じました。
もうすぐ夫の十三回忌を迎えます。最愛の人の存在は未だに大きく、物理的に姿が見えないという難はあるものの、常に傍らにいてくれていると感じます。死別をしたとはいえその悲しみを乗り越える必要はなく、共に生きていけば良いのだと思うようになりました。
サポーター
- アクセサリー作家。
子どもの頃から「装う」ことに興味津々。外資系企業勤務のかたわら、全身のコーディネートに欠かせないアクセサリーづくりを独学で始める。大人ならではの装いのアクセントでありつつ、気負わずにさらりと気軽に身に着けられるアイテムづくりを目指す。
被爆者であった父の悪性リンパ腫、大腸がんの10年以上にも及ぶ闘病に寄り添い、夫をも膵臓がんで失うという経験をもつ。
プロフィール