自分らしく

たつ

たつ

ね うし とら う たつ み
うま ひつじ さる とり いぬ い

十二支の中で
ボクだけが
想像の世界に生きてるんだ

だから今年は
好きな色になり
好きな魔法をたずさえて
今までできなかったことを
してみたい

数馬くんとか、寅彦くんとか、名前に生まれ年の干支が入っている知り合いが何人かいますが、私の母方の祖父も『辰雄』という名前でした。もう、132年も前のたつ年に生まれた祖父は福島県いわき市で、下駄屋さんをしていました。9人の子どもがいて、その下に孫も16人。

祖父の両親は、きっと龍のように強くそして天を駆け上る勢いで生きていくように『辰雄』と名付けたのではないかと想像していますが、私の知っている祖父は強く荒々しいというよりは、おしゃれでまめな印象があります。祖父の部屋の棚にはバイオリンがおいてありました。また、たくさんの孫たちへの年賀状を欠かさず、しかも一枚一枚に干支の動物を筆で描いてくれていました。年賀はがきのお年玉クジの番号も誰に何番を出したか控えてあったそうです。

古い商店街にあった家は、商いをしていた頃に下駄職人さんたちも一緒に住んでいた名残で、2階に小さな部屋がいくつかありました。そのため、私が子どものころは毎年夏休みにいとこたちとその小部屋に泊まるのが楽しみでした。海に行ったり、常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾートハワイアンズ)に行ったり、鍾乳洞まで遠出したりして楽しんだものです。

晩年は、私の母が祖父母を家に呼んで暮らしていましたので、私も数年一緒に暮らしました。スイカやキュウリが嫌いで頑として食べず、お酒は大好きで晩酌を欠かしませんでした。90代でこの世を去るときにはしばらく寝たきりだったのですが、職人の腕は龍の足のように“がしっ”と硬くて強かった覚えがあります。

今は空の上で、身軽になって龍のようにあちこち飛び回り、2回分の還暦プラスもうひとまわりの今年を、「俺の年だな」と祝っているような気がします。

サポーター

みやもと おとめ
みやもと おとめ
詩人。
本業は体育大学・ダンス学科教員。大学生たちがダンスを好きになり、さらに自信をもって子どもたちにダンスを教えられる指導者として育つことを願い、教育と研究に取り組む。

プロフィール