自分らしく

ウォーキングと三丁目の夕日

久しぶりのウォーキングで気づいたこと

「あれっ、なんか変だな」
駅に向かう大通りの歩道を歩いていて思った。
「なんか皆さん急いでいる?」
その割には切迫感もなく、普通にスタスタ歩いている。若者や子どもたちだけじゃなく、そこそこ年配の方も僕を追い抜いていく。ゆっくり歩いているのは、手をつないで幸せそうなカップルくらい。どうやらみんなが急いでいるのではなく、僕の歩く速度が遅くなってきているのかもしれない。人ごみのなかをステップを踏みながらかき分けかき分け進む“営業歩き”は、もう過去の遺産になってしまったのだろうか。

あきらかに運動不足を感じていた。「これではイカン」と思い、在宅勤務終了後に久しぶりにウォーキングに出かけた。コロナ前によく歩いていた往復40分コース。出足はまずまず快調だったが、私鉄の跨線橋を渡り終えコースの三分の一が過ぎたころ、足の裏に痺れを感じた。だんだん痺れ感が強くなり、コースを折り返して再び跨線橋に差し掛かったあたりで、けっこうな苦痛を感じるようになった。しかし、なんとか休まず歩を進めているうちに何事もなかったかのように痺れや痛みが引いていった。

コロナ禍の運動不足で、『脊柱管狭窄症』が発症したか?

老化が突然襲ってきたのか? いやいや実は思い当たる節がある。以前、肩こり・腰痛で整形外科に診てもらった際に『脊柱管狭窄症』という診断をされたのだった。おそらくこれが『間欠性跛行』なんだろう。月に1~2回通っていたのだったが、首筋に毎回太い注射を2本打たれ、鎮痛剤と胃薬を出された。問診でどんな症状を訴えても治療は同じ。毎回の注射でぼぉっとしたアタマで帰路に着いた。確かに痛みは和らいだが、このまま注射を打ち続けていては良くないと思い、しばらくして通院をやめた。そのまま症状が出なかったので放置しておいたのだが、そこへコロナ禍の運動不足でカラダは錆ついてボロボロになっていたのだ。

今まで仕事のストレスや無茶な飲酒でカラダをずいぶんイジメてきたし、ここらで遅まきながら自分のカラダと生き方に向き合っても悪くはないだろう。ふと神妙な気分に。でも、これからでも遅くない。今、気がついたことに感謝だなとも思った。

これからも太極拳をサボらず、歩き続けることを夕焼けに誓う

まず血流を良くすることを意識した。毎日、太極拳の立禅(ゆっくり腹式呼吸)とスワイショウ(腰をひねって左右に腕を振る)。そして立ったままカラダを揺すり、揺れながら肩甲骨を意識して腕を回す。足首を回したり、ふくらはぎや足の裏をもんだりさすったり、古い機械に油を差すように自分で自分のカラダをいたわるマッサージ(マッサージは人にやってもらっても自分でやってもオキシトシンという癒し効果のあるホルモンの分泌を促すらしい)。そして在宅勤務の日と土日と週に3~4回は歩く。いつもの40分コースで痺れが出たり出なかったり。体調や座り過ぎの姿勢などに関係するのだろう。

「やはり、名医を捜さなくちゃなあ」と思いながら歩く。秋分を過ぎた今は、夕方すぐに暗くなってしまうが、夏の間は18時半頃、跨線橋からキレイな夕焼けにお目にかかれることもあった。茜色の空と駅前のコチャコチャした街の眺めが『三丁目の夕日』っぽくて、いつもしばらくの間ボォッと見惚れていた。これからも太極拳をサボらず、歩き続けることを夕焼けに誓った。そしてこれが「ご自愛されよ」ということかなと思う今日この頃なのだ。

サポーター

伏見英敏
伏見英敏
1959年5月生まれ。
三陸食べる観光主宰/キャリアコンサルタント/日本健康太極拳協会準師範
人の話をじっくり聴くのが好き。そこに魚介類の肴と日本酒があれば、HAPPYです。

プロフィール