自分らしく
〈バレエへの招待〉(10)日本のバレエ はじまり物語 Part 1
明治末に日本人は初めてバレエを観た?
日本にバレエが伝わったのは、いつごろのことなのでしょうか? 正確な記録は残っていませんが、1911年(明治44年)に、オペラ上演を目的に作られた初めての西洋式劇場『帝国劇場』の開場にあたって上演された『フラワーダンス』(振付:ミス・ミクス)が、初めて日本で上演されたバレエ作品ではなかったか、と言われています。
帝国劇場は翌年の1912年(大正元年)、ジョヴァンニ・ヴィットリオ・ローシーというイタリア人バレエ教師を雇い入れ、日本人にバレエを教えはじめます。このときの生徒には石井漠、小森敏、沢モリノ、高田雅夫、高田せい子などがいて、彼ら/彼女らはのちの日本のモダン・ダンス界(バレエではなく)を牽引する巨匠たちとなっていきます。
日本ではモダン・ダンスが先行
石井獏は1915年、専制的な教え方に嫌気がさしてローシーと大喧嘩ののち決別、自分の目指す新たな踊りを追求しはじめます。教師のローシーも帝国劇場との契約満了後、『ローヤル館』という劇場を自分専用の劇場として活動を始めますが、興行的には失敗が多く大正7年には解散、ローシーはアメリカに渡ってしまいます。このため日本のバレエは一時指導者を失い、停滞を余儀なくされます。
同じころ、作曲家の山田耕筰は1910年から1913年にかけてベルリンに留学し、そこでアメリカ人ダンサーのイサドラ・ダンカンによる『モダン・ダンス』に直接触れ、強い感銘を受けます。そして帰国後、石井獏をはじめとする初期の日本人ダンサーたちの交流のなかで、日本の『モダン・ダンス』が発展するきっかけを作ります。西欧ではクラシック・バレエへのアンチ・テーゼとして始まった『モダン・ダンス』が、日本ではクラシック・バレエに先行するかたちで人々の間に浸透するという逆転現象が起きたのです。
サポーター
- お笑いバレエ・ライター。
子どもの頃からの憧れだったクラシック・バレエを30代から習い始める。この経験をもとにバレエ誌に寄稿するようになり、その後、バレエ関連のライターとして活躍中。
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